映画・テレビ

2013/07/15

映画「犬と猫と人間と2」

Inuneko2

先日、ユーロスペースで『犬と猫と人間と2』を観てきた。

犬と猫と人間と』は、三重県河崎のある古本屋さんの店主に教えていただいたのが縁で自主上映の宣伝のお手伝いをしたこともある映画。
たった一日に犬猫1000匹近くが殺処分されているという現実を知らせ、命について考える機会を持ってもらおうという主旨のドキュメンタリー。

今回の2は、1の飯田基晴監督がプロデュースを担当し、宍戸大裕監督が初制作。
東日本大震災の被災地における犬猫の被害状況と現状を伝える。

映画を通して感じたのは、犬猫は政府に命ではなく物的に扱われているんだなということ。
非難指示区域にまだまだ生きている犬猫がたくさんいるにも関わらず、立ち入り禁止としたうえに、保護すらしようとしなかったのだから。

ボランティアの人々が様々な手段を使って非難指示区域に入り込み、ご飯をあげることで何とか命が繋がる動物たち。
でも勿論、餓死してしまった子や、ご飯を求めて車道に出たがために轢き殺されてしまった子たちもいる。

震災が起こる前、津波の被害から非難したある家族は「犬は駄目だ」と言われて建物の中にいれてもらえず、外に繋がれていたその子は結局津波で亡くなってしまった。
飼い主が今でも後悔していたけれど、でもそれって悪いのは飼い主ではなくそう決めた行政なんじゃないのだろうか。

犬猫の命って、どうしてこんなに軽んじられているのだろう。
そもそも私は殺処分自体未だに理解ができないのだけれど、殺処分を正しいとする価値感の人からしたら、非難という非常事態に犬猫なんて構っていられないのだろうな。悲しい価値感。

また、今作では家畜についても触れられている。
本来であれば肉牛として育てられ出荷されていた牛たち。
放射能による汚染で肉牛としての価値が0とされた牛たちは、行政から殺処分しろという命令が下される。
そこへ殺処分から守ろうという人たちが現れ、現在は「希望の牧場」と「やまゆりファーム」という二カ所で牛たちを守り育てていっている。
(※寄付を必要としているので、興味のある方は覗いてみてください)

本来であれば「肉」として食べられる運命にあった子たち。
それが殺処分されるからといって、守ろうということには賛否両論あるであろう。
「どうせ食べられるために死ぬ運命だったのに、守るのはおかしい」といった声も実際よせられているらしい。
私自身は、ベジタリアンでも何でもなく、普通に肉を食べる生活をしている。
だから、家畜の命、という話になると本当に難しいなと思う。
でも、生きる為に命をいただく行為と、人間の勝手な理由で無駄に殺処分をする行為とは遠くかけはなれていることはわかる。
食べられないからと殺すくらいならせめて野にでも山にでも放ったらいいではないかと思う。実際は放射能汚染された牛を自由に放つなんてとんでもない!ってことで無理なんだろうけれど…。

ペット(本当はこの言葉はとても嫌い)、家畜。
人の手によって管理されてしまった動物たちは被害者なんだと思う。
でも、今のこの状況をすぐには変えられないから、せめて守れるものは守る。
そういうシンプルなこと。

私がうちの子たち、捨てられていた猫二匹をひきとったのもそう。
本来なら自由に野生で生きられるのが理想なんだろうけれど、いまこの人間社会で生まれてしまった子たちはそうはいかないからせめて自分にできる数だけでも守る。
この子たちも、発見が遅かったりしたら死んでいたんだよな。
自分の本当の母親のことは覚えていないんだろうな。
人間のエゴによってそうさせられてしまったことを思うと胸が痛い。

「いのち」をめぐる旅。
私利私欲に走るのではなくて本当に様々ないのちにとってやさしい政治が行われて、住みやすい世界がやってくるといいな。いつの日か。

| | コメント (0)

2010/06/17

映画「犬と猫と人間と」自主上映会

犬と猫と人間と自主上映会2010年7月24日

日本で年間にどれだけの犬猫が処分されているか知っていますか?
その数は、なんと年間30万頭以上。
実に一日に1000匹近くのペース。

この「犬と猫と人間と」は、一人の猫好きなおばあさんの思いから生まれた不幸な犬猫を減らす為のドキュメンタリー映画。
犬猫の悲しい現実を見つめていて、完成までに4年の歳月がかかっています。

この度、東京で自主上映会が行われます。
是非足をお運び下さい。

■上映日時
2010年7月24日(土) 13:30〜 (約2時間)

■上映場所
ちよだプラットフォームスクウェア ミーティングルーム002

■交通
竹橋駅(東西線) 3b KKRホテル東京玄関前出口より徒歩2分

■会費
1500円(※上映に掛かる経費以外は全て犬猫のために寄付されます)
事前にメールでの予約が必要です。
下記上映会ブログのページよりご確認下さい。

↓「犬と猫と人間と」自主上映会(詳細・予約)はこちら↓

犬と猫と人間と上映会ブログ

主催:INN同好会

*

この映画のことは、旅先で訪れた猫好きの古本屋の店主から聞いて知りました。
彼らも犬猫の為にと映画の普及に尽力されています。

犬猫の為に私に何ができるだろう?と考えた時に、この映画の普及に少しでも関わることではないかと考えました。
東京の映画館での上映は終わってしまっているのですが、自主上映会があることを知り、主催の方にブログでの告知について確認したところ、 快く了承して下さりました。

自主上映会に足をお運びいただけたら、また、周囲の方に広めていただけたら嬉しいです。

これをきっかけに、一匹でも多くの犬猫が、救われますように。

*

「犬と猫と人間と」映画公式サイト

犬と猫と人間と

*

「犬と猫と人間と」予告編

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2009/11/18

映画「ヴィヨンの妻 〜桜桃とタンポポ〜」

Vt01「ヴィヨンの妻 〜桜桃とタンポポ〜」

監督:根岸吉太郎
脚本:田中陽造
原作:太宰治『ヴィヨンの妻』
出演:松たか子、 浅野忠信、室井滋、伊武雅刀、広末涼子、 妻夫木聡、堤真一

モントリオール世界映画祭 最優秀監督賞受賞

新宿ピカデリー、土曜朝一の上映へ。
早い時間だからか、お客さんはぱらぱらと少なかった。

舞台は昭和二十一年、戦後間もない頃。 大酒飲みで浮気性の小説家大谷はある日椿屋という小さな飲み屋さんから大金を盗んで逃げてしまう。
子供を連れてその飲み屋さんで働くことになった妻佐知は、それまでとはうってかわって生き生きとする。
美しくなっていく妻の浮気を疑う大谷は、ある日他の女性と姿を消してしまうが・・・という話。

以前、書籍の感想(関連記事:ヴィヨンの妻 / 太宰 治)も書いた今作。
原作を読んでいるとどうしても原作と比べてしまうけれど、この作品はストーリーだけではなく原作の持つ空気感まで見事に映画化できている。

昭和二十一年というと当然私は生まれていないのだけれど、バラック建ての飲み屋街などその時代の雑多でエネルギーに溢れた街の様子がいい。
私は古い物好きなので、そういった街並や小道具は見ているだけでも本当に楽しい。洋服と着物が共存していたあの時代って本当にいい。汽車の雰囲気とかも。
あの美術のクオリティだけでも、個人的には観る価値があったと言える。太宰の長女津島園子さんも当時の街の雰囲気を映画で再現できていることに驚いたそう。

この作品は「ヴィヨンの妻」だけではなく、様々な太宰作品のストーリーがミックスされている。「思い出」からは幼少期の記憶、「燈籠」からは夫婦の出会いのエピソード、「姥捨」からは心中のエピソード、そして題名にもなっている「桜桃」
セリフなどはかなり原作を忠実に再現しているので、太宰ファンは好きなセリフをリアルに聞けるという楽しみ方もできそう。

大谷の弱さや脆さ、暗さ、どうしようもなさ、でもその一方で周囲を惹き付けてしまう不思議な魅力。
佐知の明るさと逞しさ、そして献身さを含んだ包容力。
世の中の何もかもを考え過ぎて深刻になってしまう大谷に対して、佐知は「私には難しいことはわからないわ」と短慮で開き直っているようにも見える。でもそんな佐知の方が生きていく術を心得ていてずっと強い。
大谷はそんな現実的な佐知という伴侶がいるからこそ、好き勝手悩んでいられるのだろうなと思う。大谷がどんなに酷いことをしても、じっと耐えて時には笑い飛ばして、彼のことを愛して支えていく佐知。私にはその献身的な様はとても真似できない。逆に、佐知のような伴侶がいる大谷が羨ましいくらい。

大谷の心中相手、美しくて孤独で少し影がある秋子を、広末涼子が魅力的に演じている。佐知とは対極にあるタイプ。
秋子と家庭とか妻とかが全く結びつかないのは、彼女自身から「生」の香りがしないからなのだと思う。ある日ふっと消えてしまいそうな、そんな朧げなポジションで自由に何にも執着せずに生きている女性。でもそんな彼女が唯一その魅力に溺れてしまった相手が大谷。だから大谷と心中することも迷わない。
それにしても丸眼鏡が、太宰の心中相手「スタコラサッちゃん」こと「山崎富栄」にそっくりなのはやはりわざとなのかな・・・。
(ちなみに、太宰とスタコラサッちゃんについては青空文庫にある坂口安吾の「太宰治情死考」で少し書かれているので、興味のある方はそちらをどうぞ)

この映画の良さは言葉で説明するのが難しい。
そういう輪郭をなぞって楽しむタイプの映画ではなく、映画全体を通して浮き上がり伝わってくる色や香りといった茫洋たるイメージを感じて味わう映画であると思う。
そしてそれはたしかに太宰治の「ヴィヨンの妻」であり、原作同様、きっと何年経っても色褪せないものになっているのではないだろうか。
出来過ぎた配役に逆に少々身構えて観に行ったけれど、観てよかった作品。

| | コメント (1) | トラックバック (1)

2009/10/10

映画「空気人形」

Kng空気人形

監督 : 是枝裕和
原作 : 業田良家「ゴーダ哲学堂 空気人形
出演 : ぺ・ドゥナ 、 ARATA 、 板尾創路 、 オダギリジョー 、 高橋昌也、 星野真里、 富司純子、 寺島進

私は空気人形。空っぽな、誰かの「代用品」。

はじめはWorld's End Girlfriendが音楽を担当した、ということで興味を持った作品。しかも主演がぺ・ドゥナ。ベジとドナのCM以来気になっていた美しい女優さん。
仕事後に渋谷のシネマライズへ。

中年男性の秀雄は、寂しげな小さな町にある自室のアパートに空気人形を置き、自分の彼女のように扱って生活をしている。
しかし、ある日その空気人形は心を持ち、動きはじめる。
外の光を目にした彼女から言葉が溢れる。
「キ…レ…イ」
街に出た彼女は、レンタルビデオ店で働く純一と出会うが・・・という話。

私は、「心」を持ってしまいました。
持ってはいけない「心」を持ってしまいました。

この作品は、込められたメッセージと、それを伝えるための設定が非常によく考えられていて、それぞれの対比が面白い。
たとえば、身体の中が空っぽだけれどあたたかい心を持った純粋な空気人形に対して、身体の中は空っぽじゃないけれど心が空っぽな現代の人々。
身体の中が空っぽで、ただ産まれ死んでいくだけの生き物「カゲロウ」の話。
歳をとらない空気人形と加齢を怖れる女性。
食事をしない空気人形と過食嘔吐の女性。
誕生日も家族もない空気人形と父親に誕生祝いをされる女の子。

誰もが自分の中の空虚や欠落を埋めたくて、でもその埋める方法がわからなくて手近な何かに逃げてしまって、そこから抜け出せなくなる。
空気人形の持ち主秀雄も、結局は女性との関係を築いていくのが面倒で、全て自分の言いなりになる人形に逃げている。彼は職場ではうだつのあがらない下っ端なのに、人形の前では部下に叱責するような理想の自分を演じ、何だか悲しい。
そこに幸せは、美しさは、あるのだろうか。
片目を瞑って何かを見ないようにして、騙しているだけなのではないだろうか。

自分の投げた石が、誰かに波紋を起こすかもしれない。
世界は人と人の関わりで成り立ち、それは幾重にも波を起こす。
それは時には面倒なことも齎すかもしれない。
でもそのハーモニーは、きっと、最後には美しく鳴る。
孤独、空虚、欠損、欠落。
それらを満たすのはそういうものなのではないだろうか。

事故によって空気が抜けてしまった空気人形は、愛しい純一に息を吹き込まれることで本当の「生」を得る。
恥じらいや悦びを凝縮したその甘美なシーンは、欺瞞も駆け引きもない、純粋な愛すること愛されることの幸福感を伝えているように思う。
私たちは歳をとればとるほど、この純粋な思いを忘れていってしまっていないだろうか。

この映画は、人形が人のように動きだすというファンタジーである。
下手すると安っぽいものになってしまうその設定は、ぺ・ドゥナという素晴らしい女優とWorld's End Girlfriendの美しい音によって見事に結実している。
美しい音と光に包まれたキレイな世界。
世界に初めて足を踏み出した空気人形の視点がそのまま絵になっているかのような雰囲気。
ああ、そうだ。
世界はこんなにもキレイで、こんなにも驚きと発見に満ちていた。
私たちは日々その世界に生きている。
殻に閉じこもって目を瞑ってしまったらどれだけ勿体ないのか。
この世界の「キレイ」をたくさん見て、触れて、関わっていくこと。
それは自分次第でいくらでもできるのだ。

そして、ぺ・ドゥナが朗読する吉野弘氏の詩「生命は」が素晴らしい。
サントラにも収録されているのだけれど、私はこの朗読を聴くと涙がこみ上げてくる。
自分自身で完結できない生命、その欠如をお互いに知らず知らずに満たし合って世界ができていることをうたっている。
この映画で言いたいことが見事に濃縮されている、美しい詩。

空気人形 O.S.T.

空気人形 O.S.T.
World's End Girlfriend

この映画の世界観を支える、美しいサントラ。
WEGの音楽にのせた、ぺ・ドゥナのよる吉野弘氏の詩の朗読「水野線路/生命は」が素晴らしい。
その他の曲もとてもよくて、この曲を聴きながら見る光景は、何だか普段よりもずっと美しく見える。
おすすめのサントラ。

この映画の印象が、何となく岩井俊二監督の「リリイ・シュシュのすべて」と重なった。
美しい音楽に包まれた、透明で脆くて美しい世界の、少し切ないお話。

| | コメント (2) | トラックバック (14)

2009/08/15

映画「ミツバチのささやき」 ビクトル・エリセ

Mitsubachi

ミツバチのささやき
監督: ビクトル・エリセ
出演: アナ・トレント, フェルナンド・フェルナン・ゴメス

---

ビクトル・エリセ監督長編第1作。
巡回映写の映画で「フランケンシュタイン」を観た少女アナ。イザベルに「フランケンシュタインは実は精霊で、村はずれの廃屋にいる」と聞いて、探しに行くが・・・という話。

スペインを舞台にしたこの作品は、どの場面も一つの詩を詠んでいるような美しさに満ち、どこまでも静穏を保つ。
その様は、どこかユーリ・ノルシュテインのアニメを思わせる。

巡回映写に子供たちは歓喜する。
それは普段村に娯楽らしい娯楽がないことを意味する。
でもだからこそ大きな喜びになるわけで、古き良き時代の、物がないからこその幸せな姿をそこに見た。
私は東京の中心部の出身だけれど、子供の頃近所の公園で時折映画の上映会があった。
子供の頃は滅多に映画館には連れて行ってもらえなかったので、たまの上映会はそれはそれはわくわくしたものだった。テレビの小さな画面で観るのとは違って、外気に触れながら夜大きなスクリーンで大勢で観る映画は特別なものだったのだ。たとえそれが何度も観たことがあるアニメーションでも。
最近のやれパソコンだゲーム機だのに触れて育っている子供たち、いわゆるデジタルネイティブの子たちには、そういう楽しみって何かあるのだろうか。
少し暇があれば簡単にゲームの世界に繋がれて、お手軽にメールで会話が出来て、何か気になる事があれば簡単にパソコンで調べられてしまう。
そんな彼ら彼女らには、何かを想像する、何かを切望する、何かを畏れるということはあるのだろうか。
本当の夜の闇を知っているだろうか。
生と死について考えているだろうか。

アナの曇りの無い瞳。
彼女は子供の頃の無垢さを、世界が未知に溢れているということを思い出させてくれる。
今の日本の、便利さに支配された何かが足りなく味気ない世界とは相反する、アナの見ている世界。
そこには最小限の音しかなく、世界の均衡は崩れない。
影があるからこそ、光が映える。
ぎゅうっと濃縮された世界の色。
ゆったりとした音。
その美しさに、何かを思い出し、何かに気付く。
兎に角素晴らしい作品。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2009/05/24

映画「重力ピエロ」(ヒューマントラストシネマ渋谷)

重力ピエロ

「重力ピエロ」

監督:森淳一
俳優: 加瀬亮、岡田将生、小日向文世、鈴木京香、渡部篤郎、吉高由里子

映画「重力ピエロ」の初日舞台挨拶に行って来た。

伊坂幸太郎の同名ベストセラー作品を映画化したもの。

大学院で遺伝子の研究をする兄の泉水と、落書き消しのアルバイトをする弟の春。
2人は、近所で起こる連続放火事件と、現場近くに描かれているグラフィティアートの関連性に気付く。グラフィティアートのメッセージと遺伝子配列とのリンク。犯人は一体どんな意味を込めているのか?2人は放火犯探しをはじめるという話。

春が、二階から落ちてきた。

この言葉で映画は幕を開ける。
はじめ泉水が桜の花びらを見ていたので、季節のことかと思ったら、弟のことだった。
多分、小説のままの言い回しなのだろうけれど、ぐっと物語の中に引き込む強さのある言葉。

CMからは、グラフィティアートと遺伝子配列の関係性など、「謎解き」の映画のような印象を受けるかもしれないけれど、実際は家族愛をメインに描いた作品。なので謎解きを期待して行くと少々拍子抜けかもしれない。

「重力ピエロ」というタイトルに込められた意味、父親が言う「最強の家族」という言葉。
下手すると陳腐に転んでしまうような内容なのだけれど、あたたかい空気のもとうまく描けていると思う。
何より、配役がいい。全員はまっていた。主役2人の子供時代も、2人にそっくりだし・・・。
全体的にわかりやすい映画なので、万人受けするのでは。

世の中には血の繋がりを絶対視する人というのもいるけれど、私は以前からそう思っていない。
たしかに血が繋がっていたほうが遺伝子レベルでの「共通点」はあるけれど、人というのはその「身体」のみで存在しているわけではなくて。
共に寄り添って生きて行くその行程が家族の形をつくり、色を与え、思い出を共有し。そうしてずっと育てていくものであって、それがどんな形に育つのかは家族次第で。
そうしてそれは、生まれながらに遺伝子によって決められているものではないと思うから。

「顔が似ているな」よりも「仕草が似ているな」の方が、家族として何だか嬉しいと思う。

映画化不可能と言われていた作品だけれど、どこらへんを工夫したのか原作を読んでいない私にはわからず・・・。
原作「重力ピエロ」の方も近々読んでみたい。
伊坂さんの作品は「アヒルと鴨のコインロッカー」しか読んだ事がないけれど、面白かったので「重力ピエロ」にも期待。「アヒル・・・」の方は逆に映画を観そびれていたので、もし行けたらヒューマントラストシネマでやっているうちに行こう・・・。映画「重力ピエロ」の半券を持っていくと割引らしい。

肝心の舞台挨拶は、前から四列目の好位置で見られてよかった。
でも特に誰のファンっていうわけでもなく、一緒に行った子が舞台挨拶観に行こうというので行ってみた・・・という感じなのだけれど。もっとも、ファンでなくても、映画撮影に関するエピソードが色々聞けるのは面白いし、お客さんの高揚感とかお祭りっぽくて楽しいのでいいなと思う。

ちなみに、映画「重力ピエロ」は、原作本持参割引キャンペーン(商品の説明のところに詳細あり)をやっていて一般で200円割引になるようなので、原作本を持っている人は忘れずに。全国規模の映画で初の試みなのだとか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009/04/26

映画memoなど

なんだか今日一日貧血なのか体調がすぐれず、「火星の人類学者—脳神経科医と7人の奇妙な患者」を読みながら気付いたら眠っていた・・・。
いつの間にか猫二匹も傍らに。
ちなみに、もうあとはあとがきを残すのみって感じなのだけれど、予想以上に面白かった。

本やライブの感想をそろそろ書くつもりだったのだけれど一寸ぼーっとしているので、memoを簡単に。

--
今、早稲田松竹でヤン・シュヴァンクマイエルの作品が上映中。
短編集は以前「造形と映像の魔術師 シュヴァンクマイエル展 幻想の古都プラハから」で観たものばかりだし、アリスも何度も観ているので多分行かないけれど、早稲田松竹でシュヴァンクマイエル作品特集をやることが意外で、一寸驚いた。

51d2kq9pqyl_aa240_
アリスの感想はこちら

--
ユーロ・スペースで上映中の「マリア・カラスの真実
カラスの声が好きなので観たいなと思ったのだけれど、過去のドキュメンタリーの寄せ集めだから映画館で観なくてもいいという感想もあり、迷うところ。
迷っているうちに終わってしまう・・・。5/8まで。

51d2kq9pqyl_aa240_

ベスト・マリア・カラス100

--

観そびれていた「チェンジ・リング」が渋谷のシネマアンジェリカでもうすぐやるよう。
すごくいいらしいので、今度こそ観よう。
シネマアンジェリカは結構好きな映画館。

--

そういえば、「ビクトル・エリセ DVD-BOX」を買ったのに些とも観ていない。
丁寧に観たくて、まだ手をつけられていない感じ。
いい作品程、私は時折そういうことがある。
きちんと余す事無く味わいたくて、それが可能なタイミングを待ってしまう。
いい本もそう。
でも気負い過ぎてもあれで、本末転倒のように思う。

| | コメント (0)

2008/09/15

映画「スカイ・クロラ」

Sky_1 「スカイ・クロラ」
★★
監督: 押井守
原作: 森博嗣
脚本 : 伊藤ちひろ
声の出演 : 菊地凛子 、 加瀬亮 、 谷原章介 、 竹中直人 、 榊原良子 、 栗山千明

映画の詳細情報はこちら

・・・・・・・・・・・・・・・
先日書評を書いたスカイ・クロラの映画を観てきた。

吉祥寺バウスシアター2なので、座席数50でこぢんまり。
整理番号が1番で、私どんだけ張り切ってんだって感じだったけど・・・。

ストーリーは原作と基本的には一緒。
ショーとしての戦争が行われる時代。
パイロットの函南優一(カンナミユーイチ)は、新たに兎離州基地に配属となり、女性司令官の草薙水素(クサナギスイト)のもとで、働き始める。
永遠に歳をとらないという「キルドレ」とは?
優一の前任者、クリタ・ジンロウはどうしていなくなったのか?
やがて、惹かれ合う優一と水素は・・・という話。
以下、内容にふれていきます。

キャラクターは、原作本を忠実に再現している感じがしてとてもよかった。
小説を漫画化する場合、イメージとは違う!というのが普通は少なからずあると思うので。
あ、でも、ササクラが女性になっているのにびっくりした。
原作を読み誤ったのかと思ったのだけれど、やはり映画だけ女性に変えられていたよう。
ティーチャー(=父)に対する、母なのだとか。

肝心の戦闘機。悪い意味でCGっぽさがでてしまっていたけれど、それでも空中戦の迫力はなかなか凄かった。
原作は詩的で時が止まったような感覚があったけれど、映画はリアルな空中戦。

声優では、唯一菊地凛子が惜しい感じがした。
迫力に欠けるというか、本来存在感が強くないといけないはずの水素のキャラクターが霞んでしまった。

映画のビジュアルは本当に美しかった。
でも、今回大いに不満なのが脚本。
全体的にわかりやすく、予想できる範囲を出ないというか・・・。
特に、ラストにはがっかり。
繰り返される日常からの脱却の為に、優一がとった行動がティーチャーに挑むことだなんて。
それって結局、彼らが背負わされている宿命、「戦闘機で戦う事」から逃げられていないじゃん。
基地を離れるとか、もっと枠組み自体を壊す他の手段があったのではないだろうか。
そして、エンドロール後、優一の生まれ変わりであるヒイラギ・イサムが基地を訪れ、優一の影響で考え方を変えた水素がにこやかに迎え入れるって、完璧想定内の結末だし。
心底がっかり。

この映画は、どうやら現代の若者とキルドレを重ねているらしい。
「毎日毎日、飽きる程同じ事の繰り返し。
でも、そんな毎日も、自分の力でほんの少し変える事ができるのだ。」
そんなメッセージが込められているのだろう。
しかし、使い古されたメッセージな上、それを意味することそのままずばりを優一に言わせてしまうところとか、陳腐だなと思う。
そういえば、戦争に関する水素のセリフも、説明臭くて長過ぎたな・・・。

また、キルドレという、歳をとらず、平和を維持する為のショーとしての戦争の為だけに存在する彼らの宿命について、明らかに描写不足だと思う。
原作を読んでいる私ですらそうなのだから、原作を読まずにこの映画を観た人にとってはもっと馴染まないのではないだろうか。
その存在の特異さ、そしてそういう彼らを必要とする世の中の不気味さや狂った感じをもっと出した方が深みが出たのではないだろうか。
何冊にもわたって出されている原作では多くが語られなくても行間から推察するというのはありなんだけれど、映画でそこをぼかされてしまうと、単なる消化不良で中途半端な要素で終わってしまう。

基本的には難解なところがなく、万人受けする映画なのかもしれないけれど、個人的には非常に不満の残る作品。
イノセンス」の方が面白かった。        

応援のクリックお願いします

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008/08/18

映画「いのちの食べかた」

Inochi1_2いのち食べ
★★
監督: ニコラウス・ゲイハルター

映画の詳細情報はこちら

・・・・・・・・・・・・・・・

少し前に早稲田松竹で観た、食料生産の現場を教えてくれるドキュメンタリー映画。

ドキュメンタリーといっても、ナレーションは一切無い。

食料生産の現場の映像が黙々と流れていくだけだ。
それは時にはヒヨコを育てて鶏にし、食肉として解体していくまでだったり、向日葵畑に飛行機で枯凋剤を撒く様子だったり、牛の屠畜現場だったりする。
それらの映像は、絵画的な美しさを孕む。

Inochi2 ナレーションがないということは、私たちに受け取り方の自由があるということである。
それは同時に、指標がないということでもある。
この映画を観た私たちは、個々人でこの現実を受け止め、解釈していく必要がある。

命が、効率を追求した現場で物として処理されていく様。
私たちが日々食べ物として口にいれている物たちの現実。
それらは、知らなければいけないことである。

本来、生きる為に僅かばかりいただかないといけなかった「命」
いつの間にかそれは、自動的に大量に処理され、便利に食卓へ運ばれるようになった。
そして食べ切れなかった物たちは残飯として廃棄されていってしまう。

私たち人間の業の深さを認識する為にも、一見の価値のある映画である。

工場で働く女性が不味そうにもそもそと口にするパン。
食って何だっけ、と考えたくなる。

応援のクリックお願いします

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/07/21

映画「潜水服は蝶の夢を見る」

Sensui01 「潜水服は蝶の夢を見る」
★★
監督:ジュリアン・シュナーベル
出演:マチュー・アマルリック, エマニュエル・セニエ, マリ=ジョゼ・クローズ, アンヌ・コンシニ, パトリック・シュネ

2007年度カンヌ映画祭監督賞受賞

映画の詳細情報はこちら
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

早稲田松竹でやっと観る事ができたこの作品。
これは映画館で観なくてはと思いつつ、ずっと観そびれていたのでした・・・。

ファッション誌「ELLE」の編集長として、華やかな人生を送っていたジャン=ドミニク、43歳。
ある日突然脳梗塞で倒れたジャン=ドミニクは、ロ ックトイン・シンドロームになってしまい、左目の瞬き以外の自由を一切失ってしまう。
言語療法士アンリエットは、彼に瞬きでのコミュニケーションを提案する。
「E,S,A,R,I,N,T…」
使用頻度に基づいて並べられたアルファベットを読み上げ、瞬きで合図するという方法。
自分が使いたいアルファベットのところにきたら瞬きを一回、単語が完成したら瞬きを二回する。
初めはうまくいかず、ジャン=ドミニクも苛々としてしまうが、やがてスムーズに伝えられるようになっていく。

絶望の淵にいた彼は、自伝を書き留めてもらうことを思いつく・・・という20万回の瞬きで綴られた自伝を基にした映画。

映画はジャン=ドミニクの視点で始まる。
狭い視界の中で、医者たちが動き、ジャン=ドミニクに話しかけてくる。
しかし、ジャン=ドミニクがいくら答えても医者たちは反応をしない。
やがて彼は、自分が喋れなくなったことに気がつく。
また、動かない右目は縫い付けられることになり、その場面では瞼と睫毛を内側から見たアングルになるのでこちらまで視界が塞がれる恐怖を感じる。

動く事が全くできない彼の視点で映画が進むときくと、酷く窮屈で退屈な様子を想像してしまうけれど、この映画の凄いところは全くそんな風に感じないところ。

まず、色彩美がすごい。
壁の色とカーテンの色の組み合わせの絶妙さ、飾られた薔薇の色、どれをとっても色が完璧すぎて、冒頭からため息がでそうだった。
フランスらしさの詰まった、圧倒的な色彩美はずっと続く。
あれが観られるだけでも、もうかなり満足してしまう。

Sensui02 登場する女性たちは皆美人揃い。
身体は動かなくても美人を見てしっかりテンションがあがるジャン=ドミニクにはくすりとさせられる。
胸元とか見過ぎだし(笑

ジャン=ドミニクは、クロードという女性に、言葉を書き留めてもらい、執筆を開始する。
彼の文章は情景がぱあっと浮かんでくるような美しさ。
驚く事に、彼はクロードが病室を訪れる前に、その日書き留めてもらう文章を全て暗記していたのだという。
彼は非常に頭のいい人だったのだなとつくづく思う。

才能を持つ人程、身体の自由を失った時の苦痛は強いのではないだろうかと思ったのだけれど、彼は自らの身体を自由に動けない重たい潜水服に例え、例え身体は自由に動かなくても蝶のように自由に羽ばたく想像力で僕はどこにでも行けるのだと言う。

映画は、彼の視点で見る現実世界と、彼の空想や回想と、客観的に見た彼の姿とをうまく混ぜ合わせてつくられている。
空想や回想の中で彼は自由に動き、壮大で美しい自然をどこまでも追いかける事も出来る。

身体の自由を失い、心だけの存在になった彼は、それまで気付かなかった様々なことに気付いていく。

彼を見ていると、「自分」というのは一体どこまでが「自分」なんだろうと思う。
そして、自分の前に横たわる「世界」というのは、どこまでが本当の「世界」なんだろうという思いに駆られる。
彼が浸る自由な空想の世界と、彼が自由に動く事の出来ない現実の世界。
その境目はどんどん曖昧になり、実際境目なんて必要なんだろうかという気持ちになってくる。彼が感じていることこそ、現実なのではないか、と。

Sensui03 彼は、病気になる前は有名ファッション詩の編集長だったし、かなりもてていたのだと思う。
美しい奥さん(子供がいたけれど籍はいれていない事実婚)セリーヌと別れ、新しい彼女がいた。

彼が病でふせってからも献身的に面倒をみるセリーヌとは対照的に、恋人は彼がロ ックトイン・シンドロームである事実を受け入れられず会いにも来ない。
病室にかけてきた電話で「以前のあなたじゃなくちゃ嫌なの!」「あなたがいなくて寂しいの!」なんて、見事に自己中心的なことを叫んだりする。
そんなことを言われたらジャン=ドミニクがどれだけ辛いかなんていう想像力も無く、彼と会えなくなった自分が辛いという事実にしか目が向いていない何とも幼稚な恋人。
でも、ジャン=ドミニクはそんな彼女に「毎日君を待っている」と伝える。しかもそれを伝える役目は病室にいるセリーヌ。 セリーヌは伝え終わった後、たまらず電話を切ってしまう。
これは、ちょっと、酷いな・・・。
それに、彼の病状から逃げているだけの恋人なんて、繋いでおいても仕方なくないか?
馬鹿正直というか、なんというか・・・。

ロ ックトイン・シンドロームという彼の病気から、観ている方も塞ぎ込んでしまいたくなるような映画だったらどうしようという不安もあったけれど、実際は淡々と描写された美しい映画だった。
あの映像美と、彼の左目からの視点や彼の想像を使うという表現の仕方は、一見の価値ありだと思います。
創作意欲もすごくわく。

彼は自伝出版の二日後に亡くなってしまったそう。
20万回の瞬きで自伝を綴る事、そのことは本当に彼に与えられた使命だったのでしょうね。
亡くなってしまった後、彼は身も心も蝶のように軽くなれたのでしょうか。

応援のクリックお願いします

| | コメント (0) | トラックバック (2)

より以前の記事一覧