2013/11/11

浮力

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※一寸前にtwitterでもアップした、モデル不在で描いた妄想のキジトラさん。


自分の行動範囲を思い込んでいる裏では、大して価値のないものを守っていたりする。

世界の広さ。
繰り返しの磨耗の後に忘れてしまうのは何故だろう。

安寧に甘えてしまわないように。
いつでも思考をばらせるように。

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2013/06/27

月光の冴えた晩の話

ある人が自殺をしたというニュースを
こんな理由で死ぬなんてと馬鹿にする人がいて。
でも自分を構成する、感情とか粒子とかが化学変化のように完全なる陰にぱっとふれる可能性ってあるんじゃないのかな。誰にでも。きっかけなんて些細でも。

少し、昔の話。
とてもとても悲しくて落ち込んで疲れ切ってしまっていたある時。
窓の向こうに黒々とした深くて強い闇がぱっくりと口をあけていることに唐突に気付いて、はっと我に返った。
私が正気に戻るのと同時に、闇は消えた。
消えた後の方がその存在感は色濃くて、ぞっとした。

江戸川乱歩の小説で。
月光の冴えた晩に、向かい合わせのビルの目の前の部屋から住人そっくりの人形を落とすと、住人もつられて落ちて死んでしまうという話があって。
その吸い込まれるような落下のイメージと一寸かぶる。

この世の一枚裏にはそういう闇が広がっている気がする。
それは何かの拍子にくるりと捲れる。
でもだからといってふっとむこうへ行ってしまうのは絶対に駄目なんだけれど。

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重たい話だったので、とりあえずキジトラさんの「あ」のような欠伸がもやもやを蹴散らします。んあー。

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2013/02/18

こころの眼 アンリ カルティエ=ブレッソン(シャネルネクサスホール)

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先日、アンリ カルティエ=ブレッソンの展示を観にシャネルネクサスホールへ。

マグナムフォト系の展示をよくやるのでシャネルネクサスホールへは度々行くのだけれど、私自身が全然シャネルっぽくない雰囲気なので毎回ドアマンの方に対して少々肩身が狭い。
店内を進んでいかないと、展示会場へのエレベーターに乗れないのだものな。
ちなみに、エレベーターのボタンはシャネルのマークで並んでいます。

ブレッソンは、好きな写真家さんベストスリーには絶対はいる人。
パリに行った時にアンリ・カルティエ・ブレッソン財団を訪れちゃったくらい、本当に本当に好き。
彼の写真が一瞬で抱え込んだ空気感、あの空間の完璧さは何なんだろう。
きっと眼に映った光景以上の一瞬が其処には刻まれていて、あまりの濃さにぶるっとなる。

写真って絵画よりも手軽だから、スマホでもさくさく撮れる昨今それなりの写真を撮っている人って多いと思うのだけれど
本当に魂が込められた写真はそういったなんちゃって写真とはレベルが断然違う。
ライカの中のフィルムに焼き付けられたその一枚一枚から喚起される幅のいかに広いことか。
デジタルじゃないからこそ出来る偽りの無いその一瞬。

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2012/12/31

今年ももうすぐ終わります

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2012年、年始の記事はこんな感じで。

新しい空気の在処

私、2012年をこんな風に迎えたのだったっけって、自分の言葉なのに既に遥か遠い。

2012年は、ある意味彩り豊かに(明るい色も暗い色も)描かれた一年だった。
試練も多かったり、仕事のことで胃を痛くしたりなんてこともあったのだけれども。
ある時、すっと大きな階段をひとつ上がれた瞬間があって。
その時から明確に視界が開けて、見えるものが違ってきた。
尽きることのないきらきらが、温かさが、常に存在しているというか。

幸せってなんだろうって考える時があるけれど
それって多分、自分がいかに長く心を温かくしていられるかっていうことなんだと思う。
それは外部的要因だとか、人の目にどう映るかじゃなくて
自分の中でどう捉えるか
いかにたくさんの愛情を生み出していけるか
そういうことなのだと思う。
「愛」という言葉って、なんだか大袈裟で照れくさいけれど
でも、異性間に限らず、本当に何もかもを越えられる力、
最強なのって愛情なんだよなって思う。

最近親しい子からもらったメールに
「あなたと仲良くなれてよかった。身近に目標にしたい人がいて嬉しい」
というようなことが書いてあって。
ああ、大きなご褒美をもらったなぁと思った。
彼女だけじゃなく、私は最近ほんと周囲の人に恵まれていると思う。
温かい気持ちをくれて、そうして一緒に楽しんでくれる人がたくさん。

今年私と時間をともにしてくれた全ての人たちに
私にたくさんのものを注いでくれた人に
心から感謝の気持ちをおくります。

会ったことがなくても、blogやtwitterのファンでいてくれる人たちも
私にとって大きな原動力です。
ありがとうございます。

今年は結局本業プラスでひとつ大きな仕事を抱えてバタバタしっぱなしだったけれど
来年それが片付いたら、今度こそ本当に作品づくりをしたい。

みんなが静謐でありながら温かい気持ちで今年を締められ
きらきらとした新しい気持ちで新しい年を迎えられますように。
たくさんの感謝の気持ちと来年への期待で今年のblogを終えます。
来年はもっと書けるかな…。

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2012/12/05

ねここねる

長いことどんな形にしたらよいのか考えあぐねて表面をこねることしか出来ずにいたことに関してやっとこたえに辿り着いた気がする。

「ああ、そういうことだったんだ」って思う瞬間って、絶対に階段ひとつ上っているよな。
それまでいた場所が急に遠くに霞んで、目の前に新しい色が広がるから。

大切なのは自分に見える色なんだ。

ね、黒ふささん。
おなかこねましょうか?

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2012/10/13

固定された輪郭

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悲しみだったり、怒りだったり。
堪え難い強い感情を持った時に、人は刃を向けることがある。

それは外に向けてだったり、自分に向けてだったりするわけだけれど。
受け入れ切れない現状を変えたいという気持ちがその殻を破る行為、であるのだと思っていた。
窒息しそうな時の空気穴だったり、強引に行う変化。
いいとか悪いとかはさておいて。

けれど、刺すということは自由を勝ち得る行為のように思われつつも同時に今の自分をそこに固定して永続的に何処にも行かせない行為でもあるのだと。
解放なんかでは些ともないのだと。

私の顔のそばに来たくて飛びついて自分の身体が落ちないように私の身体に爪をがっつりたてる黒ふささんを見ながらそんなことを考えていた。

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2012/05/27

猫と眠らない日

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私は以前金縛りによくかかった。
実家で、友達の家で、旅先で、独り暮らしの家で。

でもそれが、猫と眠るようになってからはぴたりとおさまった。
あたたかくふわふわとした小さな生き物が私と同じベッドで眠りの世界に落ちているというただそれだけですうすう眠れた。
たまに私には見えない何かを神妙な顔つきで目だけで追うような子たちだから、何か悪いものを遠ざけてくれているのかもしれない、と、思うことにしている。
未だに、旅先や実家なんかだと悪夢と金縛りにしてやられることがあるのだから困ったもの。

それにしても猫二匹可な賃貸物件の選択肢ってなんて少ないのでしょう。
これからの生き方を色々と考えさせられる今日この頃。

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2012/04/22

雨の日の猫

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今の自分は紛れもなく過去の自分が連続した末の姿であるのに線ではなく点のような気持ちになる瞬間実際思考は記憶に基づかず個として分離されているような雰囲気。
だから思考はその時その時で散らばる。
ぱらぱら。
まとまりにくい。
隙間から逃げていく。

横たわる雨上がりのさっぱりと明るい色に似た予感。

雨が落ちる音をおうということは街が洗われていくその様を記憶に刻み付けていくことでもあるのかもしれないなんて思いながら、音楽もかけずにただ聞くことが好き。
聞きながら思考を暗く深く遠くに落とす。
ぽちゃん。

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2012/03/18

雪、白、夢

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うたた寝をしていたら夢をみた。

電車に乗って、遠く遠くへ向かっている。
くだらない話をしながら目一杯はしゃいで一寸した充足感に包まれながら。
やがて雪景色が見えてきたので「あ、まだ雪が残っているってツイートしよう」と、私は黄緑色のカバーに包まれたiPhoneを手に取る。(夢の中でもカバーはちゃんと同じだしツイートもしようとするんだなと後でなんだかおかしかった)
車窓のそばを流れる緑たちには、まだそれぞれの形がわかる程度の雪が積もっている。

猫に起こされたのか、目を覚ましたからきたのか、猫が肉球で私のことをペチペチと叩いていた。
夢の余韻で嫌な欠乏感があったので、猫をきゅうと抱いた。
夢だから夢。

 

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2011/11/23

硝子にうつす

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※黒ふさの瞳はつるんとグリーンの硝子玉のよう

先日の朝。

目が覚めたらぽっかりと何かが抜け落ちてしまっていて身体に力がはいらなかった。
ちょうど胸のあたりの質量という質量が消滅してしまったかのよう。

寝ている間に常日頃の不安の根っこを反芻していたのかもしれないし
嫌な夢をみたのかもしれないし
逆にいい夢から覚めてしまったのかもしれない。
手触りは何も残っていなかったのでわからないけれど、ただただ獏とした寂寥感が暗い穴のようにぼわんと広がっていた。

そういう時にふと実感する。
日頃起きて活動出来ているのは身体の中心に芯があるからなのだと。
何かが酸のようにじわじわと溶かしたり、槌のようにぱきぱきと砕いてしまうと身体が動かなくなってしまうのだということを。
空いた穴からエネルギーは漏れていってしまう。

そうなってしまった時のスイッチを。
美味しい珈琲を飲もうでも、好きな本を読もうでも、いい香りを嗅ごうでも、広い空を見に行こうでも、めいっぱいお酒を飲もうでも何でもいい。
僅かばかりであっても身体を動かすための起爆剤を。
なるべく多く用意しておきたいなと思う。
一時のどかんとした落ちは必要であっても、ずっとずっとそうしていたくはないから。

時間は死ぬまでの有限。
それまでにもっともっとたくさん上がらないといけない。
知らないことも出来ないことも得られていないことも。
想像がおっつかないくらいほんとうにたくさんあるから。

すとんと落ちても。
起き上がれなくなっても。
いつか必ず立ち上がって。
どんどん変わるものを焦るくらいの気持ちで。
目に映して音をひろって言葉という輪郭を与えて染み込ませていかないと。
何の為に生きているのだかわからなくなってしまうから。

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