エコ・環境

2011/05/01

お伊勢さんと畏怖

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昨年の5月末、初めて伊勢神宮へ行った。
行こうと思って行ったわけではなく、 名古屋に知り合いがいるので一人旅プラス一日案内してもらおうくらいの旅を企画していたら、同僚に「近いから行ってみたら?」と伊勢神宮をすすめられ、行かねばならぬような気がして行った。

外宮から内宮へまわるという、正しいとされる順路で巡ったのだけれど。
外宮の時点で、度肝を抜かれた。
なんだかもう、すごいのだ。
本殿のまわりを取り囲む空気の密度と種類が圧倒的に違う。
重過ぎてぎゅぎゅいと視界が歪む。
なんだろう、ゆらゆらしている。
水の中に濃度の重いものを垂らすと湯気のようになるけれど、あんな感じでね。
私たちを取り巻く普段の空気と圧倒的に違う何かがどっしりと鎮座していて。
そこから発せられる引力ももの凄くて。
そのスケールの違いに、暫し呆然。

私は、普段から目に見えないものを感じやすいほうだとは思う。
それでも。
自分とは圧倒的にスケールの違うものに対する「畏怖」を。
生まれて初めて感じた。

私たちは。
本来そういう畏怖を持って生きていなければならない気がする。
この地球上には。
私たち人間の意志では力量では、絶対的にかなわぬものがあることを。
自分たちが、地球という大きな場所にいさせてもらっている、ほんの小さな生き物であることを。
自然と共生している昔の人にとっては、こうした「畏怖」はもっと当然のようにあるものだったのではないだろうか。
人工物に囲まれてそれらから遠い生活をしている私たちは、備わっているべき感覚が麻痺してしまっているんじゃないだろうか。

伊勢神宮にはなかなか行けないけれど。
近所で強さを感じる場所は、井草八幡。
鳥居の向こうに、伊勢神宮のような濃い密度の空気が横たわっていて。
行く度に、鳥居の外との空気の種類の違いに、ほえーとなる。
ここは伊勢神宮のように「畏怖」を感じる程桁違いなものではないのだけれど。
でも行くと頭が浄化されたのかなというくらい清々しくなるので、度々訪れる。

原発の問題を聞いた時に一番気になるのは。
私たち生物のことだけではなく、地球への影響。
放射性廃棄物は、最終的には人間環境と隔離するために地下深い地層の中に埋設処分されるのであるという。
人間にさえ影響がなければいいやと、人間が触れたくない有害なものを地球の中に埋めるっていうシステム自体がおかしくないだろうか。
私が地球だったら、全身で拒絶したくなる。

地球へ。
畏怖なる存在へ。
攻撃的なことを続けていたら。
いつか私たちは滅びてしまうのではないだろうか。
ジェームズ・ラブロックの「ガイア仮説」に基づいても、
地球にとって有害な生物でい続けたら、地球の自己調節システムによって退治されてしまう。
地球にとっての私たちは、私たちにとっての細菌レベルなのだから。

私たち人間は。
本当はもっと、畏怖の存在を知るべきで。
そして地球をもっといたわっていくべきなのではないだろうか。

ただ、個人でそういう考えに行き着いても。
実際その為に具体的に何をどう自分がアクションしていったらいいのかは難しいなと思うのだけれど、たとえば、周囲に自分の考えを話すだけでも違うのではないかと思う。
「大切にしよう」を心がけて生活していく人が少しずつ増えていくだけでも、何かが一寸ずつよくなっていくはずだから。

良い心で毎日を楽しく過ごすこと。
気張らずに、気付いたことがあったら出来る範囲で実践していくこと。

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■関連記事:リオの伝説のスピーチ

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2008/06/10

窓の外の光

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※パリ、アンティークショップのショーウィンドウに佇む人形

今日、会社のお手洗いでふと窓を見たら、雷で光っていた。
今私たちが作業をしている部屋には窓がないので、全然気付かなかった。
お手洗いの時と、休憩室に行く時だけ空が見える。

ちかちかとした遠くの瞬きを見ながら、 以前記事にした「無音の雷」を思い出した。
今日はちっとも幻想的じゃなくて普通の雷だったけれど、記事に書いた無音の雷は驚く程美しかったのだ。
自然の美しい光景を見られる度に、ご褒美かなって思う。
いつもその都度感謝する。

地球の為にもっと何が出来るか。
いよいよ危機感をもってやっていかないとまずい段階まできているみたいだし。
私利私欲を捨てて、地球環境の為に皆が手を取り合う日はやってこないのだろうか。
近頃の天災は、私たちが地球を大切にしていないことへの報いなんじゃないだろうかという話もきかれる。
ただ困った事に、天災は環境を破壊した人だけに起こるように器用にはできていないのだ。
罪のない人が沢山亡くなってしまう。

環境の為に直接的に何をしたらいいのかわからない場合、
私たちが心穏やかに過ごし地球に感謝するだけでもいいらしい。
この理屈はなんかわかる。
例えば会社で、苛々とした雰囲気を出している人がたくさんいるのと、穏やかな人がたくさんいるのとでは、その部屋の雰囲気、空気はがらっと変わる。周囲にも影響を与える。
眼に見えないレベルの事が持つ影響力、これはなかなかあなどれません。

私も日頃リサイクルくらいしか出来ていない気がするので、
せめて感謝する。
せめて心穏やかに過ごす。

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2008/03/18

プレゼントツリーでエコ

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※どこぞの森っぽいけれど、うちの近所・・・。

先日テレビで、リオの伝説のスピーチをとりあげていた。
1992年に行われたこのスピーチがとりあげられるのは、今でも地球環境が良くなるどころかずっと悪化しているからなんだって思うと、なんだかやるせない。

環境の為に何をしていいのかわからない、という場合は、「自然って素晴らしいな」「空ってきれいだな」って、自然環境に感謝するだけでもいいらしい。
そういう気持ちのパワーで、一寸ずつ何かが変わっていくものだから。

そういえば「プレゼントツリー」という、エコな贈り物がある。
「プレゼント・ツリー」とは、「贈り物として、大切な人に“木を植えること”をプレゼントする」という、新しいタイプのエコ活動。
購入すると木が植えられ、名前や木の情報入りの植林証明書が発行され、木のオーナーになれる。木を見に行く事もできるらしい。
場所によって値段は異なり、値段は 3,500円〜10,000円くらい。
例えば大火災により森林が消失したオランウータンの住処インドネシア・カリマンタン島に2本の樹を植えるプランなら5,500円。
意外に安い。
だって、ブランド物のバッグを彼女に贈ろうかなぁなんて考えている人がいたとして。
同じお金で植林10本できちゃうわけですよ。
バッグよりずっとスケールが大きくて役にたつことができてしまう。

こういう素敵な活動がどんどん増えるといいなぁ。

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2007/05/07

リオの伝説のスピーチ

Photo_22いただきものの薔薇を撮影。
花の香り、特に薔薇の香りって癒されるし、ピンク色は人の気持ちを穏やかにする色。

ブログで是非紹介したいと思ったスピーチを取り上げます。
ご存知の方も多いかもしれません。

9歳のときにECO(Environmental Children Organization)という環境学習グループを立ち上げたセヴァン・スズキは、1992年6月、12歳の時にブラジルのリオ・デ・ジャネイロで「地球環境サミット」が開かれることを聞き、自分たちで費用を貯め赴く。
そこに集まった世界の指導者たちに向かってセヴァン・スズキが語った伝説のスピーチ。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

こんにちは、セヴァン・スズキです。エコを代表してお話しします。エコというのは、子供環境運動(エンヴァイロンメンタル・チルドレンズ・オーガニゼェーション)の略です。カナダの12歳から13歳の子どもたちの集まりで、今の世界を変えるためにがんばっています。あなたがた大人たちにも、ぜひ生き方をかえていただくようお願いするために、自分たちで費用をためて、カナダからブラジルまで1万キロの旅をして来ました。

 今日の私の話には、ウラもオモテもありません。なぜって、私が環境運動をしているのは、私自身の未来のため。自分の未来を失うことは、選挙で負けたり、株で損したりするのとはわけがちがうんですから。

 私がここに立って話をしているのは、未来に生きる子どもたちのためです。世界中の飢えに苦しむ子どもたちのためです。そして、もう行くところもなく、死に絶えようとしている無数の動物たちのためです。

 太陽のもとにでるのが、私はこわい。オゾン層に穴があいたから。呼吸をすることさえこわい。空気にどんな毒が入っているかもしれないから。父とよくバンクーバーで釣りをしたものです。数年前に、体中ガンでおかされた魚に出会うまで。そして今、動物や植物たちが毎日のように絶滅していくのを、私たちは耳にします。それらは、もう永遠にもどってはこないんです。

 私の世代には、夢があります。いつか野生の動物たちの群れや、たくさんの鳥や蝶が舞うジャングルを見ることです。でも、私の子どもたちの世代は、もうそんな夢をもつこともできなくなるのではないか?あなたがたは、私ぐらいのとしの時に、そんなことを心配したことがありますか。

 こんな大変なことが、ものすごいいきおいで起こっているのに、私たち人間ときたら、まるでまだまだ余裕があるようなのんきな顔をしています。まだ子どもの私には、この危機を救うのに何をしたらいいのかはっきりわかりません。でも、あなたがた大人にも知ってほしいんです。あなたがたもよい解決法なんてもっていないっていうことを。オゾン層にあいた穴をどうやってふさぐのか、あなたは知らないでしょう

 死んだ川にどうやってサケを呼びもどすのか、あなたは知らないでしょう。絶滅した動物をどうやって生きかえらせるのか、あなたは知らないでしょう。そして、今や砂漠となってしまった場所にどうやって森をよみがえらせるのかあなたは知らないでしょう。

 どうやって直すのかわからないものを、こわしつづけるのはもうやめてください。

 ここでは、あなたがたは政府とか企業とか団体とかの代表でしょう。あるいは、報道関係者か政治家かもしれない。でもほんとうは、あなたがたもだれかの母親であり、父親であり、姉妹であり、兄弟であり、おばであり、おじなんです。そしてあなたがたのだれもが、だれかの子どもなんです。

 私はまだ子どもですが、ここにいる私たちみんなが同じ大きな家族の一員であることを知っています。そうです50億以上の人間からなる大家族。いいえ、実は3千万種類の生物からなる大家族です。国境や各国の政府がどんなに私たちを分けへだてようとしても、このことは変えようがありません。私は子どもですが、みんながこの大家族の一員であり、ひとつの目標に向けて心をひとつにして行動しなければならないことを知っています。私は怒っています。でも、自分を見失ってはいません。私は恐い。でも、自分の気持ちを世界中に伝えることを、私は恐れません。

 私の国でのむだ使いはたいへんなものです。買っては捨て、また買っては捨てています。それでも物を浪費しつづける北の国々は、南の国々と富を分かちあおうとはしません。物がありあまっているのに、私たちは自分の富を、そのほんの少しでも手ばなすのがこわいんです。

 カナダの私たちは十分な食物と水と住まいを持つめぐまれた生活をしています。時計、自転車、コンピューター、テレビ、私たちの持っているものを数えあげたら何日もかかることでしょう。

 2日前ここブラジルで、家のないストリートチルドレンと出会い、私たちはショックを受けました。ひとりの子どもが私たちにこう言いました。

 「ぼくが金持ちだったらなぁ。もしそうなら、家のない子すべてに、食べ物と、着る物と、薬と、住む場所と、やさしさと愛情をあげるのに。」

 家もなにもないひとりの子どもが、分かちあうことを考えているというのに、すべてを持っている私たちがこんなに欲が深いのは、いったいどうしてなんでしょう。

 これらのめぐまれない子どもたちが、私と同じぐらいの年だということが、私の頭をはなれません。どこに生れついたかによって、こんなにも人生がちがってしまう。私がリオの貧民窟に住む子どものひとりだったかもしれないんです。ソマリアの飢えた子どもだったかも、中東の戦争で犠牲になるか、インドでこじきをしてたかもしれないんです。

 もし戦争のために使われているお金をぜんぶ、貧しさと環境問題を解決するために使えばこの地球はすばらしい星になるでしょう。私はまだ子どもだけどこのことを知っています。

 学校で、いや、幼稚園でさえ、あなたがた大人は私たちに、世のなかでどうふるまうかを教えてくれます。たとえば、

* 争いをしないこと
* 話しあいで解決すること
* 他人を尊重すること
* ちらかしたら自分でかたずけること
* ほかの生き物をむやみに傷つけないこと
* 分かちあうこと
* そして欲ばらないこと

 ならばなぜ、あなたがたは、私たちにするなということをしているんですか。

 なぜあなたがたがこうした会議に出席しているのか、どうか忘れないでください。そしていったい誰のためにやっているのか。それはあなたがたの子ども、つまり私たちのためです。あなたがたはこうした会議で、私たちがどんな世界に育ち生きていくのかを決めているんです。

 親たちはよく「だいじょうぶ。すべてうまくいくよ」といって子供たちをなぐさめるものです。あるいは、「できるだけのことはしてるから」とか、「この世の終わりじゃあるまいし」とか。しかし大人たちはもうこんななぐさめの言葉さえ使うことができなくなっているようです。おききしますが、私たち子どもの未来を真剣に考えたことがありますか。

 父はいつも私に不言実行、つまり、なにをいうかではなく、なにをするかでその人の値うちが決まる、といいます。しかしあなたがた大人がやっていることのせいで、私たちは泣いています。あなたがたはいつも私たちを愛しているといいます。しかし、私はいわせてもらいたい。もしそのことばが本当なら、どうか、本当だということを行動でしめしてください。

 最後まで私の話をきいてくださってありがとうございました。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


中学生の頃、国語の授業で過去の戦争をテーマにした詩を書く課題があった。
私はそこで「生まれた時代が違うだけで、亡くなってしまった子供たちは何も悪くないのに」といった内容の詩を書いたことを思い出した。
でも、その時の私には、戦争も、貧しさも、どこか他人事のようで。
例えばそれは、家族の身に起こっていることのようなリアリティは伴わなかった。

「なにをいうかではなく、なにをするかでその人の値うちが決まる」

スピーチをした当時のセヴァンとそう歳が変わらなかった当時の私は、まさに言うだけ。
じゃぁ今も世界のどこかで起こっているであろう戦争をとめる為に何かをしようという行動にはならなかった。

最近、地球の環境破壊が本当にギリギリのところまできているのだということを、様々なところで耳にする。
このスピーチが行われたのが1992年、今は2007年。15年も経っているのに・・・。
昔、「オゾン層の破壊」といった言葉を聞き始めた頃よりも、私自身も危機感を覚えている。
でも、日々果たして環境の為に自分に何ができているというのだろう。
ちょっとした省エネ。
資源のリサイクル。
使い捨てはせずに、長く使える良いものを揃えようという意識。
せいぜいそんなところだろうか。

私のようなごく普通の人間が、突然マザー・テレサのようになるのは無理だ。
あまりにもハードルが高すぎる。
私はまだまだ物欲等の煩悩がいっぱいある小さな人間だ。
でも、この地球を愛して日々大事にしようという意識を持っているだけでも大きく変わると思うのだ。

「どうやって直すのかわからないものを、こわしつづけるのはもうやめてください。」

利己心と狭い視野を一寸だけでも捨ててみること。
そうすればきっと、
当たり前でいて、大人たちが気付かない事が
捨てた分だけ見えてくるのだと思う。

こういう地球の環境破壊の話になると、イギリスの科学者ジェームズ・ラブロックのガイア仮説を必ず思い出す。
地球にとって人間が「不要なもの」になってしまった場合の結末は・・・。
ガイア仮説の話はまた今度にでも。

51c36fb9z7l_aa240_このスピーチは「あなたが世界を変える日」という本にイラストと共に収録されている。
自分で読み返す為だけではなく、まだスピーチを知らない周囲の人への贈りものにもいいかも。
書籍の詳細情報はこちら

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