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2013/02/21

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先日、ふと翼の絵が描きたくなって衝動的に描いた。
飲酒しつつ久々にカッターナイフで削ったステッドラーの鉛筆は、一寸歪でごつごつとした形だった。

初対面で、背中に翼のイメージが浮かんだ人がいる。
浮世離れということではなくて
生えているのが自然だと思えるような背中に見えたのは何でだったのだろう。
持っているエネルギーの大きさが、翼というかたちをとったのだろうか。

次は両翼の揃った背中の絵を描きたいけれど
翼は背中のどこから生えているものなのだろう。
肩甲骨?

ニケの画像を検索してみたら美しすぎて困った。
以前ルーヴルで実物を見た時には感じとれなかったものを
今なら感じとれそうな気がするし、もし今見たら泣いてしまいそうな気がする。

存在の認識は自分という柔らかななまものをつかっているわけだから
その時その時で響き方が変わっていて当たり前だし
逆にそれは同じ響き方を求めても戻れないことがあるってことだ。

でもそれでいいんだと思う。
新しく鳴らす音が見せる景色をトレースした先にある何か。

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