« 今年ももうすぐ終わります | トップページ | スマートノート風のもの、はじめました。 »

2013/01/16

命を紡ぐもの

Img_2690

今日の朝ツイートした、屠殺の話なのですが。

今年も普通の女子が鴨を絞めて、お雑煮にしたよ。(ちはるの森)

「なんでこんな残酷なことをするのか」という意見も送られてくるそうで。
でもその人って、完全なるヴィーガンなのだろうか?
もしそうだとしても、だったら一個人のブログに文句を言う前に、肉食を禁止していない日本政府にでも文句を言ったらいいし、ヴィーガンでも何でもなくただ屠殺の模様が残酷だからブログに載せるなというのであったら、では貴方がお昼ご飯に食べた牛丼に使われた牛肉はいつどこで誰がどんな牛を殺したことによって齎されたのか考えたことはある?という話。

私自身は屠殺をしたことがない。
屠殺どころか、生き物の命を奪う行為というと蚊やゴキブリの類いを殺したことがあるくらい。

私はお肉もお魚も食べる。
でも、私が食べるお肉やお魚っていうのは、当然どこかで誰かが殺したもので。
それらは切り身にされてパック詰めにされていたり、外食であったら当然調理済みの姿ででてくるもので、そうしてワンクッションもツークッションもおいてしまうことで、「命」という形状からはどんどん離れて「食べ物」になってしまう。

それが殺される前には命ある生き物であったことを、私たちは食事の度に思い出せているだろうか。
感謝できているだろうか。

肉食を「罪深い」と言う人があるけれど、そうなのだろうか。
本当の罪深さは、食べ物に感謝できない人にあるんじゃないだろうか。
スーパーやコンビニなどで大量に廃棄される食べ物、必要な分だけでよかったのならもっと死ななくてよかった命はたくさんあったのでないの?と思う。
何で必要な分だけにできないのだろう。
多少足りないくらいでいいのではないだろうか。

私たちが口にいれる『食べ物』は、みな等しくもとは命あるものだったってこと。
お肉だってお魚だって野菜だって、みんなみんな生きていたのだっていうこと。
はじめから生命のないものを私たちは食べることができないのだっていうこと。
当たり前のそんなことを再認識させられた。

たくさんの命によって紡がれている、それもまた命で
命は他の命によってしか生かすことはできない。
だから、私たちはきっともっと「生きること」「食べること」を考えて考えて
そうして毎日毎日感謝していかないといけないのだと思う。
この便利な世の中に生まれてしまったことによって忘れてしまいがちなそのこと。

関連記事

「命の認識」展(東京大学総合研究博物館)

映画「いのちの食べかた」

|

« 今年ももうすぐ終わります | トップページ | スマートノート風のもの、はじめました。 »

「心と体」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 今年ももうすぐ終わります | トップページ | スマートノート風のもの、はじめました。 »