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2011年12月

2011/12/25

スノードームに覗く世界

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きらきらスノードーム。
青い目の雪だるま風の子がいる。

スノードーム、好きなんだ。
とても。
閉じられたまあるいつるんとした空間にみっちり液体が満たされて。
手の平に乗る小さな別の世界にいつでも雪が降るっていう不変の幻想感。
エッフェル塔とか東京タワーとかわかりやすい名所がはいっちゃっているようなやつとかもあれはあれでなんかいい。

たくさんの家族たちが温かい家で笑顔でいますように。
ああそしてたくさんの猫たちも幸せであるといいな。

Merry Christmas

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2011/12/19

三陸新報社「東日本大震災写真展」(銀座TSビル)

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先日、銀座TSビルでやっている三陸新報社の「東日本大震災写真展」を観てきた。

このビルでは、「東日本復興応援プロジェクト from 銀座」をやっていて、写真展以外にも物産展などもやっている。

2階の展示スペースに上がると、震災時に三陸新報社の記者たちが撮影した未公開の写真パネル36点が展示されている。
震災時の映像はテレビ等で何度も見たはずだったけれど、その写真たちを目の前にした時、感情の機微を感じる前にすぐに飽和してしまって泣きそうになってしまって、でも一人で泣きながら見るのも恥ずかしかったので何とか堪えた。

写真は、津波で破壊され尽くされた家々であったり、震災前と震災後の風景の比較であったりと、テレビで見たことのあるような場面たち。
でも目の前の写真のパネルから受ける衝撃は、流され続ける映像から受けるものよりもある意味大きかった。

映像は、見ているそばからその瞬間より未来へと進む。
過去に撮られたものであっても、その過去なりの未来へとどんどん流れて動いていってしまうから、ある一瞬における比重はそこまで重くならない。

けれど写真は。
その「一瞬」を焼き付けていて、そこからどこへへもいけないから、その惨状と映像以上に密に対話することになる。
映像を見ている時のような逃げ場が、ない。
時に呪縛的な強さがあるよな、写真って、と、つくづく感じた。

ネットとかでも震災の写真ってたくさん見られるのだろうけれど、やっぱりパネルとして目の前にあるものとは向き合い方の濃さが違う。
ぷらっと訪れた展示であったけれど、行ってよかった。

同会場では、「我孫子の5つの小学校の子供たちによる気仙沼応援絵画展」もやっている。
気仙沼の子供たちを元気にする為の絵を我孫子の小学生たちが自由に描いたらしいのだけれど、絵の内容に限らず全体的にとてもきらきらとしたオーラみたいなものがでていて、ポジティブな気持ちをきっかけにつくられるものってこんなに輝くのだなぁと感心した。
本当に絵が飾られた一帯が遠くから見ても不思議と光っているのだよな。とても眩しかった。

ものづくりにおいてもね。
常日頃、表現の末辿り着く形にばかり拘ってしまいがちだけれど。
表現に至るまでの動機の強さによって、出来上がったものが持てるエネルギーって全然変わるのだということに気付かされた気がした。

というか、きちんと動機を持ち続けていられているのかな。
私は。
どうして描きたいとかつくりたいとか思っているのだったっけ。
純粋な動機をもとにつくられたものを目の前にして、何だか色々考え込んでしまった。

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