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2011年8月

2011/08/31

フレデリック・バック展(東京都現代美術館)

Frederick_01

先日、名和晃平さんのシンセシスを観た後にフレデリック・バック展へ。

はいってすぐのスペースでは、「木を植えた男」を上映している。
28分の作品を9つのスクリーンで時間差で区切って上映しているので、ひとつ観終わったら続きを観るために隣のスクリーンの前に移動して…を繰り返して全編が観られる。
混雑なくスムーズに観られるのはいいのだけれど、座れないのが辛い人もいるのではないのかな。

穏やかなテンポで静かに進んでいく映画。
人々の心まで病ませてしまう荒廃した土地に、地道に木を植えていく男性。
やがて大地は甦っていく。
一枚一枚色鉛筆で描かれた淡い色の美しい絵と素朴な動きのアニメーションに引き込まれる。

その後は、子供の頃に描かれた絵に始まり(2歳で結構上手なピエロを描いていた)今に至るまでの作品を展示。
祖国フランスの美しい様子や旅をして行く先々での風景画。
仕事で描いた切手やポスター等のポップなイラストレーション。
テレビの仕事でつくったかわいらしいキャラクター。
そしてアニメーション。

約1000点の膨大な作品をずっとおっていると、彼の作品の幅広さがよくわかって感心してしまう。
個人的にはテレビやアニメーションなどかわいらしいテイストの時が好みだった。

アニメーションで一番好きだなと思ったのは、カワウソと少年が魚を乱獲していた熊をとっちめる話。
ゆるゆるな線で描かれたキャラクターと、レトロな雰囲気の場面転換の仕方がいちいちツボ。

「木を植えた男」だけではなく「大いなる河の流れ」では河を汚染して生態系を破壊する人間の愚かさを指摘していたりとか、地球のこと自然のこと動物のことをとても愛して思い遣った作品をつくっているというところも凄く好きだなと思った。
私、地球大好き。大切にする人も大好き。

アニメーションというと、昨今のものっていかにリアルで立体的であるかとかを競っているものが多いけれど、一枚一枚丁寧に描かれたこの優しいタッチは人をほっとさせる。
何かを考えるためには、こういうテイストがぴったりな気がする。
心に響いてするするっと呼び覚ます感じ。

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展示の最後には、ワークショップ 「ファミリー・トーテム・ポール」がある。
赤と黒のペンで紙コップに自分だけのトーテムを描きましょう、というもの。
描いたものはこうして積み上げておく。

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私が描いたのはやっぱり猫です、にゃぁ。
黒のペンがかさかさでとっても塗りにくかった…。

想像の3倍程のボリュームで、体調が万全ではない日であったこともあって途中から一寸疲れてしまって勿体なかった。
図録買わなかったのだけれど、ゆっくり観返したいので買いに行こうかな。

この値段で本当にいいの?というくらい濃くて盛り沢山な展示。
おすすめ。

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2011/08/29

名和晃平 シンセシス(東京都現代美術館)

先日、「名和晃平 シンセシス」を観に東京都現代美術館のある清澄白河へ。
清澄白河はそうそう行く場所でもないので、同美術館でやっている「フレデリック・バック展」もついでに観ることにした。
2つ鑑賞しても2000円のセット券がある。

観る前にとりあえず腹ごしらえ、と、美術館近くのカフェ「kuudle」へ。

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同行者が頼んだマフィンサンド。
ランチはこれにデザートのシブーストと飲み物付き。
少し味見させてもらったのだけれど、卵がふんわり甘くて美味しかった。
向かい側から写しているので、なんかサラダが巨大ですが…。

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私が頼んだ豚のラグー トマトソースのパスタとチョリソーとポテトのシーザーサラダセット。
やさしいトマトソースがほっとする味だった。
いかにも女性向けなカフェのわりにはボリューム満点。

一寸したギャラリースペースもあって、かわいらしいカフェだった。

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以前、どこかのギャラリーへ行くのに清澄白河へ来たことはあったものの、実は現代美術館へ来るのは初。

ベルサール原宿でやった「TOKYO GRAPHIC PASSPORT」での講演を聴いて以来、生で観てみたかった名和さんの展示。

「Cell」という概念をもとに生み出された作品たち。
以下、気になった作品の感想。

1.CATALYST(触媒)
入り口をはいってすぐ、グルーガンで描かれたもの。
植物のようにのびのびと壁に広がり侵蝕していくような様がよかった。

2.BEADS
鹿の剥製に、大小様々な透明の球体を貼付けた代表作品。
リアルな物体を2Dの世界のピクセルに分割して解体してしまう、というコンセプトが面白いなと思う。
ぷつぷつぶくぶく。
ぷっくりと表面を覆われた鹿は死んでいるのに変な瑞々しさがあって美しかった。

3.POLYGON
同じモチーフから出来上がった、巨大なポリゴン状の物体とリアルな物体とを対極に並べている作品。
コンセプトは面白いのだけれど、リアルな方もわりとざっくりとした出来であったので惜しい感じがした。

4.GLUE
上下左右同じピッチで配置された球体の集合体は、観る角度によって姿を変える。
動いていないのに動くように感じる様が面白かった。

5.MOVIE
カラフルなドットのアニメーションが投影され、鑑賞者の影と融合する作品。
わりと狭いスペースだったので、すごく広いところでやって沢山の人が踊ったりしたら面白いんじゃないかと思う。

6.LIQUID
シリコーンオイルの内で、ぷくぷくと絶え間なく生まれる泡。
発想であるとか、生命であるとか。
何かがこの世で絶え間なく生まれているのだということを思い出させるような作品。

名和さんの作品はどれもコンセプトがきちんとしている。
でもよく出来たコンセプトの一方で、あくの強さとか暗さのようなものがない。
それこそ、デジタルの世界で生まれたものの延長線上のような印象。

以前森美術館でやっていた小谷元彦さんの「幽体の知覚展」とついつい比較してしまった。
小谷さんの作品はコンセプトが立派なだけでなく、作品のクオリティが凄く高いからな…。

とはいえ、あの鹿はとても美しく、あれを生で観られただけでもこの展示に来られてよかったと思える程だった。

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2011/08/22

表裏

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※驚きのお好み焼きやさんに行ってしまった日の夕暮れ

表裏。
たとえば。
チョコレートを食べるのを止めることは、チョコレートを食べない日々のはじまり。
早起きする生活を始めることは、夜型の生活の終わり。
一方的にはじまるだけのことも。
一方的に終わるだけのこともなくて。
何かを選びとるということは何かを手放すということだし。
何かを手放すということは、何かを手に入れるということ。

日々多くの自由に身を浸してたくさんの選択をして生きていると
突然とても疲れてしまうことがある。
何もかも手放して眠っていたくなる。

ただ裸で眠って何もなくなってしまったかのように思えるその瞬間も
本当は何かを選んでいてじっくりと内側に蓄えていて
ただ失うだけなんてことはなくて
日々はまだ暫く続いていきそうなのだという予感も満ちている。

とはいえ。
とても疲れている時には何かを得たり何かがはじまったりしている最中でもあるだなんて気付けなかったりするんだけれど。
生きるだけで精一杯、のような心持ち。

これから先、私はあと何回夕焼け空をみるのだろう。

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2011/08/20

しなやかなしん

Hoe

「同情するなら金をくれ」って言葉があったけれど。
あれ本当は「同情っていう、上から目線になれる非常に気持ちの良い体験をさせてあげたのだからそれ相応の代金は払いなさい」という意味でもよかったりしないかね。

優しさや労りや忠告のふりをしてただ人の自信を挫くような言葉を平気で言うような無神経な人にはなりたくない。

芯を強く通す、もしくはとてもしなやかに在ればそういうものも怖くないのだろうけれどまだ私未熟でむらがあるからとりあえずひゅるひゅる身軽に避ける訓練でもするか。

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2011/08/08

面妖な泡沫

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自分という存在やそれを取り巻く世界を認識する術は。
記憶と感情とが織りなしてみせるものに身体のコンディションをデコレーションしたものなのだろうか。

毎日毎日もう何年も生きていても、未だによくわからないのだよな。
むしろ、若い頃の方が目の前のものを素直に受け取ってその都度上手に消化して昇華してもっと単純に生きていたような気がする。

一人で街を歩いていて、ふっと空を見上げた時。
部屋で目を閉じてじっと考えごとをしている時。
やっぱり相変わらず私は周囲からぷつりと切り離されてしまって、今まで繋がっていたはずの沢山のことがふっと遠くなってしまう。
日々、集団の中でコミュニケーションをとっていたはずの自分が嘘のようで夢のように忘却してしまいそう。

その一方で何かを心に病んでじっとりと熱い膿をもったかのように蝕まれて縛られて何処にも行けずに苦しくてたまらない時間を過ごしていることもある。
酷い呪いみたい、あれは。

そのどちらもが私という人間を媒介にして霧のように炭酸の泡のようにふつふつと生まれてくる目に見えぬものなのだから、結局のところ何なんだろうねってことになる。
私が言葉にして形を与えないかぎり、私の内側で起こっていることなんて何処の誰にも知られないのだから。

幻のようなものに翻弄されてそうして泡沫のような短い人生を辿っていくのであれば折角ならば楽しい日々で埋め尽くせばいいのに変な悩みを抱えてぐずぐずしていたりするのだから人ってとても面倒で面妖な生き物だよね。
たとえば猫だったら、過去のことや自分と他の関係性や人の目なんてものなども一切合切気にしないでその場その場で自由に生きているのだものね。って。確認していないから多分だけれども。

受容されて固定されていないということは同時にとても自由でそうして何処へでも行けるってことにどこかに着地してしまう前にきちんと実感を持ってそうして生かしていけたらいいのにと思いながらもふっと寂しくてしくしく泣いてしまいそうになるのだからやっぱり面倒で面妖でこんなに弱くて食物連鎖によくもまぁ勝って生きているよなとか思ってしまったりもする。

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