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2011年1月

2011/01/31

写真展「Line」(Roonee 247 Photography)

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先日、Roonee 247 Photographyでやっていた朝弘佳央理さんとマスナリジュンさんの写真展「Line」を観て来た。

お二人の展示を観るのは、同じギャラリーで以前行われた「あわせ鏡」展以来。

以下がこの展示のテーマ。

*

自分-他者
生-死
現在-過去
わたしと世界

世界からへだてる輪郭がわたしをかたちづくる
わたしは世界と混ざり得ず、ここと、むこうとのあいだに境界を引くようになった
すべての輪郭が等しくそこにある世界をもういちど見つめたら、何が紡げるだろう


葬儀屋とダンサーが見つめる境界線。
それぞれ向かい合う4つの題材を結ぶ「生」のポートレート
カラー・モノクロ約30枚。

*

朝弘さんの作品は、まずはカラーの女性のポートレイトシリーズ。
とても艶やかで鮮やかな色の印象が残った。
写真が抱いている光が、曇りなくとてもきれい。
ただ人々を写すだけではなく、女性が着ていたコートが掛けられた椅子の写真(女性は不在)が挟まれていたりすることで生まれている「間」のバランスがよかった。
不在であることによってそこから想像力が機能する面白さ、とかもあるし。

朝弘さんのもうひとつは、目や足、背中といった人体のパーツに焦点をあてた写真。
踊っている方のものと思われる足は、美しい踊りを支える為の裏方ともいえるその姿がとても印象に残った。

マスナリジュンさんの作品は、まずは女性の顔のアップ写真。
大きくプリントされているので、本当にドアップだ。
前回の展示同様、写っている人たちの目がきれいだなと思った。
皆やさしい目をしている。

マスナリさんのもうひとつは、首から腰までのヌード写真。
人の身体において「胴体」というのはとても大きなパーツであるのだけれど、顔がないというだけで匿名のもの、という感じになる。
朝弘さんの写した人体のパーツと大きく違うのは、胴体というものが普段は服の下に隠されているもの、ということ。
匿名でありながらも、誰にでも見せるものではないもの。

観ていて、何となくダムタイプの「S/N」のイメージが浮かび上がってきた。
性差ってなんだろう、個性ってなんだろう。
小さな違和感とも言えるような疑問がぽこぽこと喚起される。 

私たちは普段接している人たちのどこまでを知っているのだろう。
少なくとも、パーツであったり胴体であったりの写真を見せられて「あ、あの人だ」と瞬時にわかることができる人なんて僅かではないだろうか。
また、自分のことだってどこまでわかっているのだろうか。
自分の身体の色々を疎かにしている人だって多いのではないだろうか。

そんな風に、観ながら、観おわってから。
人体について何だか色々考えてしまった。

前回に引き続き、楽しい展示だった。

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2011/01/17

森に眠る魚 / 角田 光代

森に眠る魚

森に眠る魚
角田 光代

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文教地区に暮らす5人の子持ちの主婦たちの話。
読んでいる途中で気付いた。
この作品は、1999年11月に東京都文京区で起きた「文京区幼女殺人事件」をたたきにしていることを。

私は主婦でもないし、子持ちでもない。
でも女同士の繋がりにおけるこの種の諍いや葛藤は様々な場で見てきた。自分の身に起きたことだけでなく、周囲に起きたことなども含めて。

角田さんの描写はいちいち本当にリアルだ。
5人それぞれ全くタイプが違うし、特別悪人がいるわけでもなく、いるいるこういう人、という感じで丁寧に描かれている。

被害妄想。
嫉妬。
ストーカー。
悪意。
憎悪。
殺意。

はじめは親しく付き合っていたはずの5人が、それぞれの綻びから関係を破綻させていく。
そのリアルさと重さで読み止めることができず、一日で読み切ってしまった。

子持ちの主婦に限らず、人間関係においてこういうことってあるんじゃないだろうか。
人づてに聞いたことで相手のことを悪く解釈したり、悪く思われているんじゃないかという被害妄想に悩んだり、色々。

この作品は5人の登場人物それぞれの視点でストーリーが進行していくのだけれど、終盤、誰の視点が分からないかたちで描かれている話がある。
それは「文京区幼女殺人事件」の犯人の独白のようであり、この作品中の誰かのことであるような、不思議な仕立てである。

どんなに辛くても憎くてもさ。
幼い命を手にかけてはいけないよ。
周囲の価値感に引きずられて手に入れたミーハーな何か、それってそんなに大切ですか?

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2011/01/16

特別展ダ・ヴィンチ ~モナリザ25の秘密~(日比谷公園ダ・ヴィンチミュージアム)

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先日、日比谷公園内に特設されたダ・ヴィンチミュージアムでやっている「特別展ダ・ヴィンチ ~モナリザ25の秘密~」へ行って来た。

招待券をいただいたので行ってきたのだけれど、予想以上に手の込んだ展示だった。

まず、入り口の目の前にある壁には、黒柳徹子さんが徹子モナ・リザとなって喋る展示がある。
ディズニーランドばりの仕掛けにほわーとなる。
すぐ次には、モザイクのようにバラバラになった巨大なダ・ヴィンチの顔が鏡に映る展示。
こういう展示の仕方って新しくていい。
美術展って小難しいなっていう人でも、この辺りでとっつきやすくなりそう。

中では、ダ・ヴィンチが描き残したノートを元につくられた復元模型が多数展示されている。
観るだけではなく実際に触って動かせるものも沢山あり、楽しめる。
今使われている技術の元になったものも色々あって、彼の天才ぶりに吃驚する。
だって、彼の発想を実際に再現できたのは随分と後世なので、時代が彼の頭の中に追いつくまでにどれだけ時間が必要だったんだろう?という感じ。

あとは、解剖のスケッチなんかもいくつか展示されていたけれど、これは「医学と芸術展(森美術館)」の方が内容が濃かった。

展示のメインである「モナリザ25の秘密」は、そこまで驚くものではなく、少々拍子抜け。
でも、ルーブルにある実物の額縁の裏まで再現したのは面白かった。
今までの展示用に書かれたメモなんかが色々残っているのだ。

最後の晩餐の実物大の表示もよかった。

他に興味深かったのは、自分の身体がダ・ヴィンチの言う黄金比にどれだけ近いかを調べられるアトラクション。
画面に映し出されたウィトルウィウス的人体図と、装置を取り付けた自身の身体を重ねると、一致率が表示される。
私はシルバーメダルを貰えた。
ゴールドは滅多にでないそうなので、まぁよい結果なのかな。

全体的にすごく丁寧にお金をかけてつくられた展示だったと思う。
ミュージアムグッズの種類も尋常ではない多さだったし。
実際に触れる展示が多いので、普段美術展に興味がない方や子供連れでも楽しいと思う。

特設されたテントのような建物なので、結構中は冷える。
これから行く方は防寒対策を万全に。

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2011/01/15

川面

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※実家の近所

私は、幸せの形を決めてかかる考え方には疑問を持つ。
それは人それぞれの価値感によって人の数だけ存在するはずのものだから。
事象がその人の持っているフィルタを通った時にどういう形に変化するかによって、同じ物事でも幸福だったり不幸だったりするわけだし。
なのに何故他人が幸福か不幸かを自分の物差しで勝手に判断しようとする人がいるのだろう。
周囲が見るべきは状況ではなくて、その人の気持ちの在り方じゃないか。

私にとって大切な人々が日々安らかな気持ちで楽しくあるとよいな。
私も日々そうありたい。

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2011/01/10

ロック母 / 角田 光代

ロック母

ロック母
角田 光代

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25歳時の芥川賞候補作「ゆうべの神様」から川端賞受賞作「ロック母」まで、15年に渡る7つの短編がおさめられている。

・ゆうべの神様
夫婦仲の悪い両親のもとで暮らすマリコの話。閉塞的な村で周囲の住民に家庭のことを干渉され、苛立をつのらせていく。どこまでも続く夫婦の醜いいさかいであったりとか、底意地の悪い村人たちの態度なんかを見ていると不快な思いが蓄積されていくのであまり好きな話ではないのだけれど、25歳の頃の角田さんの尖り方が見えるのは面白い。

・緑の鼠の糞
タイのチュンポーンという町で目的無く過ごす主人公と、お寺で知り合った日本人男性コウちゃんの話。読んでいて「真昼の花」を思い出した。角田さんはほんとアジアでぼんやり過ごす人を書くのがうまいよなぁと思う。でもそこからきっと抜け出せないであろう様子が怖いような気もする。

・爆竹夜
上海で人々に粗雑な扱いを受け、飲食店ではぼられ、疲弊しきっていた主人公が、仕返しのためのある思いつきを実行しようとする話。慣れない異国の地で過剰なものにもまれ窒息しそうになった人が、日本であれば絶対に思いつかないであろうことをやろうとするという一種の病み方が怖い。

・カノジョ
不倫の末、前妻と別れた彼と一緒に住むことになった主人公。前妻の色が濃く残るその家で、自分と同じように彼と向き合っていたであろう前妻に近しさを感じる一方で、起こり続ける奇怪な出来事のせいで存在に飲み込まれそうになる話。見たことのない何者かの存在によってぐらぐらと静かに揺さぶられていく様がリアル。多分その存在を膨れさせ恐怖の対象にしているのは自分自身。

・ロック母
シングルマザーになることを決意して、身重のまま島に帰ってきた主人公。彼女を待っていたのは、彼女が置いて行ったニルヴァーナを大音量でかけて人形の服を縫う母親だったという話。爆音でつくった要塞の中で母親が何を考えているのか娘にはわからない。一般的には至福感を味わうのであろう妊娠中なのに、誰にも望まれない子供を宿して惨めな気分になる主人公の様子ではじめは悲しい気持ちで読んでいたけれど、読み進むにつれてどこか救いが生まれる。

・父のボール
自己中心的な父親を恨む主人公が、余命いくばくもない父親の病室で死の瞬間を待つ話。
積もり積もった憎しみが死と対面することで変化する様の描き方がうまい。

・イリの結婚式
新疆ウイグル自治区の取材に同行したウイグル族の若い女性アミナさんは、運転手の漢族の青年孫くんに対して冷たい。民族意識の強い彼女は他の民族を認めていないからだ。民族間の対立を見ながら主人公は自分と元婚約者との関係の破綻について考えを巡らせるという話。民族が違うわけでもないのにどうしてわかりあえなかったのか。恋人間、夫婦間、家族間。日本における様々なぶつかり合いについて考えさせられ、そして今まで読んで来た他6編でのいざこざとオーバーラップする。

それぞれの執筆時期が離れた作品たちであるので、手触りは大きく違う。
けれど芯に通る角田さんの色は同じで、それぞれの主人公たちは冷えた黒い何かを抱えて生きている。
後半、「ロック母」「父のボール」「イリの結婚式」は、終わらせ方が本当に素晴らしい。
わかりやすいオチの付け方では決してなく、けれどうまくふっと昇華させて読み手の気持ちも軽くなる。
15年という時間の間に、変わることなく描きたい芯は存在し続け、その一方でその芯を彩る技術はこうも変わっていくのかというところが面白かった。

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2011/01/05

マグナム・フォト東京支社創設20周年記念写真展「50の情熱」(RING CUBE)

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銀座にあるリコーフォトギャラリー「RING CUBE」で開催中の、マグナム・フォト東京支社創設20周年記念写真展「50の情熱」を観て来た。

9階では戦前から現在までのカメラの展示を行い、8階のギャラリースペースで写真の展示が行われていた。

マグナム・フォトといえば、私が大好きなアンリ・カルティエ=ブレッソン。
【関連記事】
アンリ・カルティエ=ブレッソン 知られざる全貌(東京国立近代美術館)
「木村伊兵衛とアンリ・カルティエ=ブレッソン 東洋と西洋のまなざし」(東京都写真美術館)

入り口のそばには、髭の男性と帽子の男性が背中を見せているブレッソンの有名な写真[ブリュッセル 1932年]があった。
といってもこれは今回の展示作品ではなく、マグナム・フォトの説明文と一緒に紹介されているものの一枚である。

マグナム・フォトは毎年300人以上の入会希望者があり、入会の為には審議があり、入れても候補生、準会員、正会員へと進む必要があり、その人独自のスタイルが要求される。
今回はそんなマグナム・フォト正会員50人全員の新作を1点ずつ展示するという嬉しい企画である。
ちなみに日本人にも一人だけ正会員がいて、それは東京支社の代表である久保田博二さん。

さすがに良い写真が多かったけれど、特に目にとまったのは以下の写真。

クリスティーナ・ガルシア=ロデロ 「ブラジルの宗教儀式」
広い湖か川の中。きらびやかな衣装に身を包んだ少女が中心に立ち、その隣には中年の女性たちが並んでいる。眉根をよせてこちらを凝視する少女の目の強さに一気に引き込まれる。その空間の濃さをこれ以上ないくらい凝縮したような写真。ずっと見ていたかった。

スティーブ・マッカリー 「数週間の修行に入るために剃髪する女の子 パガン、ミャンマー」
細い身体の少女の黒い髪の毛が男性(父親?)によってすっかり剃られてもう無くなろうとしているのだけれど、彼女は全く動揺もせずにじっと真っ直ぐこちらを見ていて、そしてその目の奥にある光が妙に女らしくてどきりとする。

アントワン・ダガタ 「グルジアの妻」
長い髪の裸の女性が、髪の隙間から顔を覗かせている。
彼女のその佇まいが、エドヴァルド・ムンクの「マドンナ」と重なった。

ラリー・タウェル 「カブール アフガニスタン」
武装した男性たちの間から少女がじっとこちらを見つめている。

ルネ・ブリ 「中国」
グリーンの部屋。色も構図も美しい。

あと、エリオット・アーウィットの写真もあった。
1928年生まれなので現在82歳。80歳を越えて現役ってすごいな・・・。
ちなみにそれはオバマ大統領の就任式の写真で、一斉にカメラを構える人々を後ろからとらえていて面白かった。

(エキサイトイズムに丁度インタビューが:エリオット・アーウィット 独占インタビュー

50人それぞれがそれぞれに違った色と濃さを持つ、素敵な展示だった。

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2011/01/04

篠山紀信写真展「ジョン・レノン、オノ・ヨーコとともに・・・愛のファンタジー」(Audi Forum Tokyo)

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原宿にあるAudi Forum Tokyoで開催中の「KISHIN SHINOYAMA PHOTO EXHIBITION ジョン・レノン、オノ・ヨーコとともに・・・愛のファンタジー」を観てきた。
これは篠山紀信が撮影したジョン・レノンとオノ・ヨーコの写真展で、世界未公開写真を含む。

Audi Forum Tokyoはアウディのショールームで、写真は2階に展示されていた。

「ダブル ファンタジー」のジャケットに使用されたあの有名な写真はもともとカラー写真だったらしく、もとのカラーのまま展示されていた。
その時に一緒に撮られたであろう二人の写真が何枚も並ぶ。
ジョンの優しい微笑みであったり、それをどっしりと受け止めるヨーコの存在感であったり。
二人の間で育まれている愛の大きさが写真から伝わってきて、写真を観てまわっているだけで私の中にもあたたかさが満ちてきた。
こんなに真っ直ぐに愛情表現をして、そうしてそれが形だけじゃなくて内側を伴ってしっかりと嫌味無く伝わってくるカップルの写真って、意外にあまりないんじゃないかなと思った。
愛情の形もとても澄んでいてきれいなのだ。

夫婦二人の写真だけではなく、息子ショーンとの親子三人の写真もあった。
二人の時には甘さのある恋人同士のようだった二人が、小さなものを守るための両親の顔に変わっている。

ジョンやヨーコが、世界平和や愛を皆に伝えようと行動を起こすことができた根底には。
彼らが互いをたっぷりと思うことで生まれた愛が枯渇することなく湧き出ていたことがあるのだろうなと思う。

当時から30年経ってから、同じ場所、ニューヨーク・セントラルパークで撮影されたオノ・ヨーコの写真も展示されている。
写真の中の彼女。
その横に不思議な『間』を感じた。
ジョンがいるための空間に見えるような、実際何かが寄り添っているような。

会場の中央には木がある。
「WISH TREE」
これは来場者が白い紙に願いを書いて吊るすことができる、オノ・ヨーコの作品。
吊るされた紙を見てみると、七夕や絵馬のように個人的なお願いごとをする人から世界平和を願う人まで様々だった。
私も願いを書いて吊るしてきた。

人が人を心の底から愛することの美しさと素晴らしさ。
時には何だか恥ずかしく口に出すのも照れくさいそういったことを、真っ直ぐと「素敵」と言いたくなるような、そんな展示だった。

会場では彼女の著書「今あなたに知ってもらいたいこと」を販売していた。
以前感想を書いたけれど、私はこの本に励まされたことがある。

(関連記事:今あなたに知ってもらいたいこと / オノ ・ヨーコ

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オノ・ヨーコから篠山紀信へのコメント。
「一番楽しかった時期に撮ってくれてありがとう」という言葉が、何だか一寸だけ切なかった。

会場内にはジョンの歌声が響いていた。

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今年一冊目の本を読みつつ

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角田さんの「ロック母」を読んでいた。
あえて彼女も担当もそれまで本に収録してこなかった25歳時の芥川賞候補作「ゆうべの神様」から川端賞受賞作「ロック母」まで、15年に渡る7つの短編がおさめられている。

角田さん自身が拙いと評する「ゆうべの神様」は、たしかに今の角田作品にはない青さと変に型にはめようとしている感じがあった。
だから余計に「ロック母」の無駄の無い良さが際立っていた。

15年の間の同じ人の表現の仕方の変化を面白くおいながら、自身のことも色々と考えていた。
15年前の自分と今の自分との成長度合いもそうだし、逆に15年後って努力の仕方によってはこれだけ変わることも出来るのだよね、と。

そしてまだ5編しか読んでいないので、読み終わったらちゃんと感想を書く予定。
最近色々な感想を放置していたから、今年こそはなるべく書こうと決めたのだ。よ。

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2011/01/02

新年の空とか

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新年。
毎年実家の庭で空を眺める。
空は高くて青くて昨年までの澱んだものが全てさっぱり流れてしまい別世界へ行ってしまったように錯覚する。
お正月のあの静謐な空気っていつも独特。
でもさ、錯覚でもよいのかもね。
この世の中は私自身の身体や感情というものを通して知って理解しているので、自分で決めたことこそが現実となる、ような気がする、ので。
なんかもう思ったもの勝ち、笑う門には福来る。てくてくひょいひょい。

オーストラリア先住民アボリジニの話「ラディカル・オーラル・ヒストリー」を読んだ時にも考えた。
本当に大切なのは「何が起こったか?」という事実の追及なんかじゃないのではと。

そんなわけで、今年はよりマイペースに自分らしく歩んでいこう。
元来自分のペースが守れないことが相当苦手。

よい一年になりますように。

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※先日描いていた兎はこんな感じになってこれに着色したり色々をして年賀状にした。今年もよろしくお願いします。

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