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2010/09/20

川沿いの家

Img_4651

※羽根のような雲がたくさんたくさん

実家に帰った時に、ぷらぷらと近所を散歩した。

実家にはちょくちょく行くのだけれど、大抵最寄り駅から家までの決まりきった道しか歩かないので、それ以外の道を歩くのは久々。

小学生の頃、集団登校の待ち合わせ場所だった公園に足を踏み入れた。
私が1年生だった頃、いつも優しく手を繋いでくれた6年生のお姉さんがいて。
すごく頼もしくて大好きで今でもぼんやりとイメージを覚えているのだけれど、お姉さんっていっても12歳だものね。
今の私よりずっと幼いのに、私の中ではいつまでも「お姉さん」のイメージ。
記憶の中にある人というのは、いつか自分がその人の年齢を追い越したところで、記憶に残った時の自分とその人との関係性は変わらない。

公園に生えている大きな木。
もう枯れてしまっているのか、葉が茶色くなってしまっていて少し寂しい。
冬にはよくこの公園の霜柱を皆でぎゅっぎゅと踏んだし、夏の夜には映画の屋外上映会もあった。
でもこんなに小さな公園だったっけ。

子供の頃っていうのは、本当に意味もなく色々な小道を通っていた。
鬼ごっこをする時の抜け道なんかもたくさんあった。
記憶を頼りに辿る。
夢の中で歩いているかのようなぼんやり感と既視感とがないまぜになって、自分の記憶だかもわからないような古い思い出が断片的に引っぱり出される。
パラパラパラ。

子供にとっての世界って、本当に狭い。
歩いて移動出来るこの小さな街が全てだった。
知っている世界が小さい分、その隅々まで。
それこそ、道を横断する蟻の一匹まで、見つめていたように思う。
だから世界の色々を知らない分、大人が知らないような微細なことは知っていたし、小さな小さなことにいちいち心を砕いていたように思う。

大人になって失ってしまった視点。
だから私は子供の話をきくのが好きだ。
といってもまだ子供がいないので、子供と話す機会があったら、なのだけれど。
「それで、それで?」
興味を持って話の続きを促すと、子供たちは嬉しそうに自分の世界の話をする。
その世界を見せてもらっている間、束の間、私も子供の頃の視点を取り戻す。

ぐるりとまわって、川沿いの遊歩道を歩いて帰宅した。
おじいちゃんが「川を眺めながらお酒が飲みたい」と言って、川沿いに建てられたこの家。
昔は本当に川の真横に家が建っていたのだけれど、今では遊歩道が整備されて桜の季節には花弁の嵐が起こる。
私が生まれる前に亡くなってしまったので会ったことはないのだけれど、この素敵な場所に家を建ててくれてありがとうと思う。

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