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2010/06/24

春琴抄 / 谷崎 潤一郎

春琴抄

春琴抄
谷崎 潤一郎

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美しく高雅な盲目の三味線奏者春琴と、彼女に献身的に仕える佐助の話。

句読点や改行が極力減らされた独特の文体によって紡がれるこの物語は、全編に渡って美しい響きが漂っている。
文章は、音とリズム、と。私はいつも思っているのだけれど。
本当にこの作品の文章は心地が良いのだ。

以下内容にふれます。

目の見えぬ春琴にとっての道楽は、小鳥。
弟子たちには怒罵も打擲も容赦ない苛辣な春琴だったけれど、天鼓という鶯の声にはうっとりと静かに聞き惚れていて、そのギャップが素敵。

そんな春琴は、ある時何者かによって顔に大火傷を負わされ、美しい顔を失ってしまう。
気高い春琴の、醜く変わってしまった顔を見られたくないという思いを汲んだ佐助は、なんと自ら針で目を尽き、盲目になってしまう。
もう、この場面の為にこの物語は存在していたんじゃないかというくらい鳥肌のたつような描写だった。
自分の愛する人の美しい時の姿だけを永遠に脳裏に刻んで生き続ける為の迷いのない自傷行為。
究極の献身であり、一種のマゾヒズム。
この場面の存在が、「究極の耽美小説」と言われる所以なのだろう。

美しい琴の音、鶯や雲雀の冴え渡った啼き声。
それらの音に静かに包まれたこの物語は、最終的には完全に視覚を排除した世界へと行き着き、そこに至るまでの流れが兎に角見事である。
緩やかなせせらぎがあり、一時激しく氾濫し、またもとの流れになり、やがて細くなっていったその流れは大地に吸い込まれて消えてしまう、というような。

その、視覚を失った世界で佐助が悟ったこと。
それが以前ダイアログ・イン・ザ・ダークへ行った時に考えたこととオーバーラップした。

私たちは視覚に頼るあまりに、ぽろぽろと零してしまっているものがあるはずで。
相手のことを理解して、そうして本当に心の底から愛している瞬間には。逆に視覚は手放している感覚、手放すべき感覚、であるような気がする。

春琴抄の詳細はこちら

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