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2010/05/23

ラディカル・オーラル・ヒストリー―オーストラリア先住民アボリジニの歴史実践 / 保苅 実

ラディカル・オーラル・ヒストリー

ラディカル・オーラル・ヒストリー―オーストラリア先住民アボリジニの歴史実践

保苅 実

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先日の記事でも書いたけれど、虹蛇の夢を見てから興味を持っていた本。

著者保苅さんは歴史学者で、オーストラリア先住民族などに関して研究されていた方。
2004年に32歳という若さで逝去されている。

この本は、オーストラリアの先住民族アボリジニの歴史にオーラル・ヒストリーの手法で接近することをテーマにしたもので、保苅さんはアボリジニ諸社会の言語グループのひとつグリンジのカントリーに位置するダグラグ村に滞在している。
そこにいる人々、主にジミー・マンガヤリという老人から聞いた「歴史」に関して綴られている。

アボリジニの人々は、時間が空間に従属するという時空概念を持っている。
ジミーじいさんをはじめとするアボリジニの彼らは、「正しい道」について著者に語る。
ジュンダガルという大蛇のドリーミング(祖先神)による西から東への道跡、それが「正しい道」
彼らはその西から東への正しい道上に位置しているし、常に正しい道を進まなければならないと思っている。

彼らにとって悪い者たちは、正しい道を進んでいない。
だから、彼らの大地を侵略した白人たちは北から来たとされている。
北から来て、正しい道を切断した。彼らは法を犯したのだ、と。
そして、白人たちの国「イングランド」は、南にあるのだと。

多くの日本人は、それを聞いて「おかしい」と思うのではないだろうか。
イングランドはオーストラリアの南になんてない、と。
「イングランドの位置」と言われて私たちが思い浮かべるのは「世界地図」であるが、アボリジニの人々がいう「位置」はそういう物理的な位置のことではないのである。
彼ら、アボリジニの人々にとって、空間や地形と論理的態度は同一の次元に位置づけられているのである。
そう言われても「?」という人は、今までの知識や考え方に則って判断することをやめて、今までものを見ていた位置の斜め上くらいから考えてみるといいのかもしれない。

この本では「歴史観」についても綴られていて、それについても考えさせられる。
私たちが教科書で習ってきた歴史。そこに書かれている歴史は、あくまで西欧の視点で歴史学者たちによって残されたもの。
でも様々な立場の人間がいる中で、全世界共通の歴史を記録することは無理だと私は思う。
人が綴った歴史は誰かしらの視点で濾されてから記録されたものであるし、そもそも記憶は変質するものであるから時には誤解や勘違いもあるであろう。そこで起こったことを完璧に記録するレコーダーでもない限り、これが正しいという一種類の歴史なんて存在しないのである。
それに、その時そこで何が起こっていたかということよりも、その出来事が関わった人々やその子孫に一体どういう影響を与えたのか、ということの方がよっぽど大切なのではないかと思う。

ジミーじいさんから教えられたこと、そして著者が考えていたことなど、この本にはたくさんの素敵なことが書かれている。

何かを本当に知ろうと思ったら、じっと留まって感覚を研ぎ澄まして世界に注意を向けることが重要であるという。
常にテレビだの音楽だのネットだの、何かを聞いたり読んだりしている私たちは、このじっと留まって世界の声を聞こうとする行為ってなかなかやらないのではないだろうか。
身体は世界を知るうえで決定的に重要な媒体」という言葉が素晴らしい。
私たちの身体は、常にその知ろうとしている世界の内側にある。
つまり、知ろうとしているその世界の一部、なのである。
その身体をおろそかにして、知ることなどできないのである。

全ては大地からくる」という考え。
異なる果物も、異なる土地も。全ては同じ大地の上にある。土のないところには何も育たない。
そんな生ける大地、大地の法に従うことが正しいとされている。

この「大地に従う」という考え方を読んで、私は「ガイア仮説(ガイア理論)」を思い出した。
これは、化学者ジェームズ・ラブロックによって1960年代に提唱された仮説で、私がこれを知って読んだのはもう10年程前。
地球をひとつの生命体(有機体)とする説で、平たく言えば地球上で起こっていることは全て地球の自己調節能力(ホメオスタシス)に基づくというもの。
この理論でいくと、例えば地球上で起こっている異常気象や災害などは、地球にとって癌となってしまった人間を減らそうと地球の自己調節能力が働いていると考えられなくもない。

で、ガイア仮説について語り出すと長くなってしまうのでそれはまた別の機会にして。
このガイア仮説による「地球を生命体」とする考え方と、アボリジニの人々による「大地の法」は共通するのではないか、と思う。
大地の声を聞いて、大地に従うこと=地球の意志 であり、それは我々が地球上で生きている限り絶対的に正しいことなのではないかと。
私たちが日々生きる為に口にいれているものたちは、この大地、地球によって育まれたものたちであるのだし、何より私たちだって地球の一部に生息する生き物に過ぎないのだから。

ここで取り上げたものはほんの一部で、私はこの本を読んで本当にたくさんのことを考えさせられた。
そもそも、たった一読では理解できているとは言えないくらい内容が濃いので、これから先何度でも読み返したいと思う本。
アボリジニの人々の生き方には私たちが忘れていた物事の本質が眠っているので読んでいるだけで沢山のことに気付かされるし、従来の歴史学というものを根底から覆すような問いかけにははっとさせられる。何より保苅さんの彼らに対する愛情と信頼が全編に行き渡っていてとても心地よい。
これが英文による博士論文を書き上げた後、病によるあと二ヶ月との余命宣告を受けてからつくられた本であるということに、私は驚きを隠せない。
それと同時に、これだけ優れた方がたった32歳という若さでこの世を去ってしまったことが残念でならない。

保苅さんの公式サイト「Being Connected with HOKARI MINORU」には、ニュースの他学生時代に書かれたコラムや新聞での連載など読み応えのある様々なコンテンツがある。
今は北海道で写真展を開催中だそうで、是非東京でも開催して欲しいなと思う。

自分がみた奇妙な夢がきっかけで知った本。
ジミーじいさんの言い方でいうならば、「大地がお前を呼んだんだよ」ということなのかな。
アボリジニの人々は、私たちの言葉で言えばいわゆるスピリチュアル的な考え方をする人たちである。
車が動かなければ、それは大地が動くなと言っているからであると考える。
洪水が起これば、それは虹蛇に頼んで起こしてもらったのだと答える。
そういう考え方に、抵抗がある人はいるのかもしれない。
でも、本来私たちは様々なものに自然と導かれて生きているのではないだろうか。
利便性を追求するあまりに目が曇ってしまい、大地の声を聞けなくなってしまった私たちが忘れてしまった、道。そこを辿るということ。
そして、「歴史」がただ教科書の中に変わらず存在し続ける過去の遺物ではないということ。

自分が持っている意識とか知識とか。
そういうものの形が根底から変わってしまうような貴重な本との出会いってとても少ないのだけれど、この本はそのひとつ。
あとは、サックス博士の本とかね。

私は、思う。
この本に出会うために夢に導かれたのだと。
そう思いたいくらい、心を揺さぶる非常に面白い本だった。

ラディカル・オーラル・ヒストリー―オーストラリア先住民アボリジニの歴史実践、本の詳細はこちら

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