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2010年2月

2010/02/28

昇華、花

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人は日々たくさんの感情を抱えて生きていて。
正と負の感情の振り幅は押し並べて等しい。

ひりひりと痛くて辛くてただただぽろぽろと涙を流すようなことがあっても
その感情を掘り下げた分だけ何かが必ず豊かになっている。

自分と同じような痛みを抱えた人に会った時に
私はその痛みを知っていてよかったと思う。

他人の痛みに向き合えない人にはなりたくなくて
そのためにはなるたけ沢山の苦しみを知らないといけないのだと思う。

世の中には自分が満たされた途端に鈍感になってしまう人が多いのだけれど
痛みを忘れた時点で其処には本当の意味での豊かさなんてなくて。

走って傷付いて千切れて粉々になって昇華する。
しんどくてもきっとその方が私の性に合っている。

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2010/02/22

暗闇で猫と眠る

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体調があまりよくなくて一日中昏々と眠っていた日。
布団の中で二匹の猫もそれぞれ私に寄りかかって眠っていた。
温かい二匹は、お腹を空かせると布団からもぞもぞと這い出して、器にいれておいたカリカリを食べ、終わると再び私のところに戻って来て一緒に眠った。

起きて水を飲みに行く私の後を、猫が追って来る。
「具合悪いからまた寝るよ」って言うと、猫は物足りなさそうに少し動いた後、再び布団の中にはいってくる。

暗闇の中。
ただただ、猫と眠る。
具合の悪い時特有の、変な重さのある夢をみては起きて、また眠って夢をみて。
ぐるぐると暗闇と猫と夢とが混ざりあいそこには時間も存在しなくて何だか現世から半歩くらいずれてしまっていたようなどろんとした輪郭のない日。
それこそ何もかもが嘘、だったような遠さの中。

多分あれは誰か人がいたら感じることのできない感覚で。
そして私はそういう夢現混ざり合うあの変な感覚が嫌いじゃないのだと思う。
何もかもから切り離されたあの感じが。

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2010/02/16

滴る

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日々過ぎ行くものに流されるままただただ変わらずぐずぐずとしてそれでもまぁいいかなんて思っていたことが急に色褪せて見えて。

倦んでいるのかもしれない。
風をいれたい。

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2010/02/10

そら頭はでかいです、世界がすこんと入ります / 川上 未映子

そら頭はでかいです、世界がすこんと入ります

そら頭はでかいです、世界がすこんと入ります
川上 未映子

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みんな生きてる、やあ奇跡。

川上さんが作家になる以前、ブログ「純粋悲性批判」で綴っていたことが書籍化されたもの。

大阪弁と独特のテンポで繰り広げられるエッセイ。
言葉であったり視点であったりが面白い。

例えば、トマトの輪切りを出されたとする。
普通の人はそれを見て「あ、トマトだ」と思うわけですが。
川上さんはそれを見て「きれいな断面図」とか思っちゃいそうな、そういう視点。
って、そういうエピソードは些ともないのだけれど、イメージ。勝手な。

両手で真っ直ぐ受け取れるものを
ハイッと斜めに転がすような。
そういう視点の転換。
角の角、裏の裏。
どこかにしんとこっそり存在していたものを
ぐいぐいひっぱりだされるような。
そんな刺激を受ける本。

あとがきで川上さんは「やはりこれは『記録』であって、間違っても役に立つなどという文章ではありませんが、所々であははん、と笑っていただけたり、共感、あるいは日常での驚嘆を共にしていただけたりなんかすると、私は嬉しくってどうしようもなくなります」と言っていて。
本当にこのエッセイは「あははん」という、ゆるくて素敵な一言に尽きるなぁと思う。
そこにあるのは、くるくるめくるめく怒濤の言葉の世界の入り口。

そら頭はでかいです、世界がすこんと入りますの詳細はこちら

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2010/02/04

HITSPARK(CLASKA)

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※パリ、多分13区あたりの公園

先日、CLASKAで行われたクリエイティブイベント「HITSPARK」へ行って来た。

クリエイティブ業界の現在の問題を議論してクリエーターたちを盛り上げよう、という主旨のイベントのよう。 1月20日(水)〜22日(金)の3日間行われていたので、20日に行ってみた。

目黒駅からバスで会場へ。
目黒通り沿いにあるホテルCLASKAは、真新しくて変わった形のホテル。
ただのホテルではなくて、日本の文化とは?を考え発信していくというコンセプトの場所のよう。
行った時に、ギャラリー&ショップDOでちょうどミナペルホネンの展示をやっていたので覗いてみた。
ミナのテキスタイルって質感とか刺繍の柄のゆるさとか、いつ見ても和む。
丸椅子とかクッションとか一寸欲しくなった。

何階なのか迷いつつ会場へ。
トークセッションが3部あり、他に紙を使用して緑が溢れる公園「HITSPARK」をみんなで作っていくというワークショップがある。これは何時でも参加可能。
でもこのワークショップ、何の説明もなく紙がぼんと置いてあるだけで、どうしたらいいのか全くわからない。
やや不親切・・・。

*

第1部 「メディア・セッション」
Public / image × HITSPAPER ×Someones Garden × numabooks × CLASKA

ゲストスピーカー:
原田優輝 (Public/image編集長)
西村大助 (Someones Garden 編集長)
内沼晋太郎 (numabooks / ブックコーディネーター)
堀内明 (CLASKA / ディレクター)

モデレーター:
佐々木新 (HITSPAPER編集長)

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ゲスト4人とHITSPAPER編集長とでわいわいメディアについて話していた。

いくつか面白いなと思った話があって、そのひとつが西村さんが話していたフレームの話。
写真家の荒木経惟さんが話していたことらしいのだけれど、例えば3人が並んでいたとする。そのまま写せば3人の写真。
でも、あえて1人をフレームから外して2人だけを写したとする。
そうすると、その写真を見た人は、そこにはその2人しかいなかったのだと思う。
フレームから外れた存在のことは決してわからない。
この話は、テレビなんかでもそうで。
カメラのフレームの外にあるものは、視聴者にはわからない。
例えば、スタジオの裏にあるもの。
端に控えるスタッフたち。
フレームから外れたものを知ることは出来ない、そんな話だった。

つまり、私たちは全てを見ているようでいて、操作された情報を受け取っているんだということを改めて考える機会になった。
そういうことについて以前も考えたことがあって、それは映画「華氏911」を観た時だった。感想の記事を見て気付いたけれど、もう6年も前なんだ…というところで吃驚。

こういうことを考え出すと、何が正なのかとか変に情報に敏感になってしまうけれど、二次情報である限り避けては通れないことなわけで。
それが嫌なら全て一次情報を入手するしかないのだけれど、そんなことは現実的に無理だし。

ちなみに、一次情報とは、直接見た聞いたなど自ら仕入れた現場情報のこと。
二次情報とは、誰かから聞いたことやテレビやネットなどで見たことなど他の第三者を介して得た情報のこと。

一次情報は信頼に足る、とは言っても。
でも人間の記憶なんて相当あてにならないからこれもどうなのでしょうね。
年齢とともに記憶をアレンジする術に長けてきちゃって。
これは私だけではなくてね、周囲の人々とか作家さんたちなどなど色々な人が言っているわけで。(角田さんのエッセイとかで面白い話があったな、そういえば)

だからもう、どんな出来事も人間の脳味噌に落ちた瞬間に変質してしまうのだよ。
その人その人の持っているフィルターによって濾し加減が全然違うから。
会場で話を聞きながら、そんなことをぽそぽそ考えておりました。

結局。
情報が人間の記憶という過去の中だけに在る場合。
全く同じ出来事なんて、誰の中にも存在しない。
※セッションの話とは関係ない結論に・・・。

*

第2部 「ウェブ・セッション」
Another Bookmark + (BOOKMARK OF THE YEAR受賞者など)

「歴代ABM BOOKMARK OF THE YEARから探る10年代のWebデザイン」

ゲストスピーカー:
ROXIK 城戸雅行(roxik.com/)
602 inc. 岩城洋平(www.602.jp/, www.yig.jp/)
日本デザインセンター 有馬智之(www.ndc.co.jp/, www.tatsdesign.com/)

モデレーター:
FICC inc. 福岡陽(www.ficc.jp/, www.akirafukuoka.com/)

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ABMはもともとクオリティの高いサイトを社内で共有するためにつくったもので、それを一般公開することになったのだそう。
2005年当時、他にこういったサイトがなかったらしい。

色々なサイトを見ながら、2006年〜2009年までの良いサイトの変遷について話が聞けて非常に面白かった。
城戸さんがつくったという「PICTAPS」 とか、2006年にこんなこと既に出来ていたんだ、という発見。
絵を描くとそれが踊るというかわいらしいサイトなのだけれど、2006年はまだFlash 8の時代で、その時代にこんなものをつくってしまってAdobeの人すら驚いたのではないかという代物。
彼がつくったサイトを他にも紹介していたのだけれど、2008年は飛び出す絵本風の「エコだ!動物園」、2009年は「全日本バーベイタム選手権」など、どれもその時代の最先端をいっているような。

岩城さん作成の「Cam with me」も、子供の成長に合わせてカメラで疑似撮影が出来るという面白いコンテンツ。

最後は、海外なんかだと作品の素敵さを重視するのに対して、日本はPVなど数字ばかりをみるところが多いのだけれど、感動を与えられる作品をつくりたいねというような話でとじられていた。

これは私も仕事をしていて感じるところで。
必ずしもいいデザインがいい数字に結びつくとは限らない。
WEBでは多少下品で派手なデザインの方が物が売れるなんて言われていて、お客さんも「この色の方が数字がいいから」など派手なものを指定してくることがある。
たしかに、刺激的なデザインというのは購買意欲を煽る部分はあると思うのだけれど、でも数字が出せたらそれでいいの?売れれば日本の文化がどうなってもいいの?
街中でも、がちゃがちゃで気分が悪くなるような看板やパッケージデザインなんかを見かけることがある。
でも、昔の日本のデザインなんかを見ると、上品で美しくて。(関連記事:1930年代・東京 -アール・デコの館(朝香宮邸)が生まれた時代/東京都庭園美術館
どうしてこうなっちゃったんだろうねと一寸寂しい。
戦後、売れること、豊かになることを追求し過ぎて、勤勉さが仇になったのだろうか。

全く数字がとれないのも困りものだろうけれど、クリエイターたちがそのデザインに自信を持てるようなものたちがどんどん街に溢れていくといいなと思う。

この後、第3部もあったのだけれど、時間がおしていたこともあってだいぶ遅くなりそうだったので私はここで帰宅。

人の少ない終バスに揺られ渋谷まで。
夜の電車は社内が明る過ぎることもあるし、景色も遠いので、車内という空間ばかりが強く存在する。
でも夜のバスは。
流れる夜景が近くて、住宅街の息づかいも聞こえてきそうな小路もあって。
近いのに傍観者であれる、そんな感じで夜の街と溶け合う感覚が新鮮だった。
夜の電車よりずっと楽しい。
乗り物弱いから、あまり沢山は乗れないけれど。

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2010/02/01

土の記憶

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※リュクサンブール公園の木。

本日は雪。
寒い。

雪は白い。
もし真っ赤だったら、降れば降る程何か不快。
世の中はよくできているね。
雪がたすたす降り積もり、音もひーんと吸い込まれて。
白いものにうっとりと包まれた街を、静謐な時間が支配する。
何て。
気楽で仰々しいことを言っていられるのは、私が雪国の人ではないから。
東京に於て。
雪というのはレジャーのようなもの。
雪降ったわね、降ったわよ。
何か嬉しいね、ね。雪だね。
あちらこちらで囁き、どこか浮かれる小さな非日常。

子供の時に比べて、雪の日というのは随分減ったように思う。
そういえば子供の頃、霜焼けをつくることもあったし、よく冷えた朝は霜柱をざくざくと踏んだものだったけれど、最近はどうなの?
通勤途中に土を踏まないので最近の霜柱事情は知らない。
平日に土を踏むことはとても稀。
家から駅までは舗装されているし、駅から会社までは外にすら出る必要がない。
そう考えると、普段私些とも地球を踏みしめていないんじゃないのということで、何かがよくない気がする。

空中庭園」という角田さんの作品があったけれど。(映画はこちら
最近、屋上庭園なんかも増えていて。
緑が増えるのは嬉しい。
でも。
地球の表面をコンクリとかで覆ちゃって、そうしてその上に土を盛ることの違和感。
何かこの違和感をうまく例えたいのだけれど、何だろう。

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