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2009年9月

2009/09/27

ねじ切れる時、空

Roskydk_01

体調不良はくるくるぐるぐる負のスパイラル上等。
美しく落下する渦巻きの辿る先は
些とも美しくないもの。

空が青くて美しいのは
その刹那にしか存在しないから。
それなのに。
その一度きりの姿を目に焼き付けないで
土竜のように土の底深く潜っている場合じゃない、の。

人の三倍頑張ろうっていいつつ
全然頑張れてないなぁ、私。
怠慢でその結果うまくいかなくたって当たり前。
もっと、もっと、全てが千切れてしまうくらい
走って、走って、頑張らなきゃ。

何かを大きく変えるには
奇跡が起こっても不思議はないくらいの
強い強い力が必要。
そう思いつつ、ついつい猫と戯れてぼわぼわする。
一生懸命は難しいね。

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2009/09/26

サンテリ・トゥオリ展『命のすみか―森、赤いシャツ、東京』(スパイラルガーデン)

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スパイラルで行われている、サンテリ・トゥオリ展『命のすみか―森、赤いシャツ、東京』に行って来た。

彼はフィンランドを代表する映像作家で、静止画と動画を組み合わせる手法で作品をつくっている。

フィンランドの離島で撮影されたという最新作「Forest」(2009)は、なんと制作に3年の歳月が費やされているという。
会場一番奥のスペース、半円状にカーブしたところに森が映しだされている。
スツールが置いてあったので、腰掛けて鑑賞。
森林鑑賞、といった風情。
モノトーンの冬の森の静止画の上から、秋に撮影したカラー映像を重ねているのだそう。
森の動きが不思議。
木々がざわざわ、さわさわ。
でも、いわゆる風が吹いているというのとも違って、木々の生命や息吹のようなものが伝わって来る。
実際に森の中へ行ってしまうと、自分も風景の一部になって溶け込んでしまう。
けれどこうして映像作品になると、全く別個のものとしてきちんと森が持つ意志やその他を観察できるのかもしれない。

私が一番気に入ったのは、「Karlotta」(2003)という作品。
赤い服を着た小さな少女の動画と、同じ少女のモノトーンの静止画の組み合わせ。
静止画の彼女の上で、動画の彼女が動く。
時に重なる。
時間軸の異なる物が共存すると、それだけでどちらも不思議に見えて存在感が増すから面白い。
静止画の方が彼女の「輪郭」のように見え、赤い服の彼女は輪郭からはみ出てしまった中身のように見える。時にぶれる様は、それこそ幽体のようでもあり。
人の枠、そこにおさまりきらない内にあるもの。
中から沸き出す何か、エネルギッシュでいて少し不穏。
そんな印象を受けた。

ポスターにもなっているのは、彼の代表作「Red Shirt」(2003)
子供がただただ赤いTシャツを着ようと試みる作品。
大人では予想しないような子供の動き。
TシャツがTシャツでなく、何か生き物とか、そういうものに見えて来る。
子供がすごくかわいいので、白い肌と金髪と赤いTシャツ、それだけでアートになってしまう。

その他、小さな台の上に映し出された、スポーツをテーマにした3作品も面白かった。
俯瞰している構図なのだけれど、指先くらいの小さな人たちが静止画の上でうろちょろうろちょろ・・・。檻や籠の中の生物を観察している気持ちになる。

27日までの展示。
この内容で無料なのは、とてもすてき。

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2009/09/21

TOKYO PHOTO 2009(ベルサール六本木)

Tokyophoto09

今月のはじめ、「TOKYO PHOTO 2009」へ行って来た。

「東京フォト」は、国際的な写真のアートイベントでは日本初の試み。有数のギャラリーが集まり、写真の展示と販売を行った。

サンディエゴ写真美術館エグゼクティブ・ディレクター、Deborah Klochko氏によるPHOTO AMERICA展も同時開催。アメリカの超一流ギャラリーが展示をするという大変貴重な機会。

ベルサール六本木の地下には前者が、一階には後者が展示されていた。

地下の会場は思いのほか広く、ギャラリーごとにブースが分かれている。
私が行ったことがあるギャラリーもあった。
各写真家の作品を少しずつ展示していて、ギャラリーによってカラーが全く違って面白かった。中には、展示作品の系統がバラバラな謎のギャラリーも・・・。
以下、その中でも特に気になった作品たち。

+

【TOKYO PHOTO 2009】

TARO NASU

宮本隆司(みやもと りゅうじ)

崩壊した街を写した作品が印象的だった。
地震のせいなのか、取り壊しのせいなのか、既に廃墟なのか。
見慣れた形の筈の建物に亀裂が入り、奇妙に一カ所でも歪むと、ついぞ見た事も無い存在に様変わりしてしまう。味気のないビルが、圧倒的な存在感を放つ感覚が不思議だった。
昨今「廃墟ブーム」があるけれど、本来人の生活の為に建てられた建築物の中から、その人々がすっぽりと抜け落ちて骨組みだけになった世界は、覗き見した時に何故だかほんの少しの背徳感を齎す。
時が止まったようなその空間で朽ちていくものに対して美を見出してしまうそのことが、そう思わせるのだろうか。廃墟は、とても乾いている。
今回の展示の中で私好みのベストスリーのひとつ。
九龍城砦

九龍城砦(宮本 隆司)

+ +

New Tokyo Contemporaries (青山 l 目黒)

※ニュートーキョーコンテンポラリーズは、7つのギャラリーにより結成されていて、今本さん作品を所蔵しているのは「青山 l 目黒」である。

今本淳

奄美大島のウミウシを撮影した作品たち。
小さな透明のキューブに写真が貼られていて、海の底を覗き見たようなかわいらしい作品だった。
しかも原寸らしく、ウミウシってこんなに小さいの?と驚いた。
カラフルで色々な柄のものがいて、かわいいんだな。
名前から勝手にナマコ的なものを想像していたのだけど、ウミウシはとても美しい。

ウミウシ—不思議ないきもの
ウミウシ—不思議ないきもの

+ +

MEM

北野謙

つくりもののように色鮮やかな大阪の通天閣、
色とりどりのビーチパラソルが並ぶ砂浜とどこまでも透明な海、
街でごった返す人々が煙のようにぼやけている写真など。
長時間露光で撮影されたそれらの作品は幻想的で、夢の中の風景を見ているような非現実感。

+

森村泰昌

この写真はどう見てもモンパルナスのキキの真似だけど、この人は一体何?と思ったら、世界的に有名な絵画や有名人などを真似してセルフポートレイトで表現するアーティストだった。
男性だったんだ…すごい技術。キキ風の美女にしか見えなかった。

Mのセルフポートレイト

Mのセルフポートレイト ポストカードセット(森村泰昌)

+ +

GALLERY 21

オノデラユキ

モノトーンの世界、すっくと古着が立ち上がっている「古着のポートレイト」が印象的。
ただそこにあるのは古着なのに、何故そこにあれだけの存在感とストーリーを込められるのだろう。
古着のはっきりとした質感、後ろで不穏なような懐かしいような雰囲気を漂わせる空。
銀塩写真とバライタ大型プリントにこだわる彼女の作品は、今回の展示の中で私好みのベストスリーにはいる。

cameraChimera

cameraChimera (オノデラ ユキ)

+

Les KiKi(レ・キキ)

モノトーンの世界、ぼんやりとした幻想の中に永遠を刻む巴里の姿が美しかった。
海外のアーティストかと思ったら、パリ在住の作家であるオノデラユキさんとアキルミさんによるグループ&プロジェクトだそう。
知らないで観ていたのに気に入るなんて、結局私はオノデラユキさんのテイストが凄く好みなのね。きっとアキルミさんの作品も観たら好きそう。
「針穴のパリ」の田所 美惠子さんのテイストに近い。

+

石山貴美子

モノトーン、マネキンが佇む写真が印象的だった。
生命のないはずの人形に息吹があるような、そこに意志が存在するような作品。

石山貴美子写真帖 1984‐2005—五木寛之「流されゆく日々」より

石山貴美子写真帖 1984‐2005—五木寛之「流されゆく日々」より

+ +

尾仲浩二

モノトーン、植物の上をふわりと揚羽蝶が飛ぶ作品。
陰から光に向って蝶が飛び立つ瞬間をとらえたようで、美しい。

+ +

ZEIT-FOTO SALON

マン・レイやアンリ・カルティエ=ブレッソンなど、私が好きな大物たちの作品が並んでいた。でもブレッソンは私が好きなやつではなかったので一寸残念。

+ +

G/P GALLERY

以前「Hackney Flowers」を観に行ったことがある、Stephen Gillの作品があった。

+ +

GALLERY TERRA TOKYO

廣瀬遥果

青に染まった世界、光と影のコントラスト。
夜明けのようなどこまでも澄んだ青さ。
何とも言えない美しさだった。
これも今回の展示の中で私好みのベストスリーにはいる。

このギャラリーが一緒に展示していた他の2つの作品が、廣瀬さんの作品とは全くテイストが違う、どこか人工的なアートだったので、何だか不思議だった。

+ +

DANZIGER PROJECTS

Annie Leibovitz

「From the Alice in Wonderland series」が印象的だった。
アーティスティックな衣装に身を包んだ、シュールで美しい現代版の不思議の国のアリス。Natalia Vodianova(ナタリア・ボディアノヴァ)とカール・ラガーフェルド、VIKTOR & ROLF(ヴィクター & ロルフ)、ジョンガリアーノなど大物デザイナーがモデルになっている。

映画にもなっていた人だったとは知らなかった。
機会があったら映画も観てみたいと思った。

A Photographer's Life: 1990-2005

A Photographer's Life: 1990-2005

アニー・リーボヴィッツ レンズの向こうの人生 コレクターズ・エディション [DVD]

アニー・リーボヴィッツ レンズの向こうの人生

+ +

【PHOTO AMERICA展】

Wynn Bullock

積み重ねて来た歴史を感じさせる、オールドタイプライターの写真が印象的だった。

+

Edward Steichen

モノトーンの中、くっきりと浮かび上がる"Heavy Roses" の写真が素敵だった。
密度の濃い、重厚な薔薇たちの塊。

+ +

一度にこれだけたくさんのいい作品が見られて非常に満足度の高い展示だった。
展示は僅か三日で終わってしまっていて、期間が非常に短いのが勿体ないと思うのだけれど、これだけたくさんの作品を各ギャラリーから借りているとそれが限界なのかな。

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2009/09/20

泣かない女はいない / 長嶋 有

泣かない女はいない

泣かない女はいない
長嶋 有

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先日、スパイラルカフェ「文庫本セット」で選んだ作品。

ピサの斜塔は完成する前から既に傾き始めていたという。よくみれば塔の上部は辻褄をあわせるように少しずつ角度を変えて、なんとかまっすぐにみせようとしてある。

郊外の下請け工場で働き始めた主人公睦美は、運の良さだけで立ち続けている建物の存在に安堵している。
どこかのんびりとした空気の会社が舞台。
睦美はそこで同棲中の恋人がいるにも関わらず新しい恋をし、リストラに合う従業員の姿を目にし…と様々な思いと悩みを抱える事になる。

睦美が思いを寄せる樋川さんはカラオケでボブ・マーリーの”NO WOMAN NO CRY”をうたう。彼は題名の意味を「泣かない女はいない」と説明し、睦美はそのことがずっと心に引っかかる。睦美は泣いたことがなかったのだ。
この歌はボブ・マーリーファンの間でも解釈が分かれるもので、「泣かないで」という慰めの歌という人もあれば「泣かない女はいない」だという人もいたり、さらなる別の解釈をする人もいたり…と。だから、樋川さんが何故そう解釈したのか、というところが彼という人を表す重要なポイントになっていると思う。

全体的に淡々と描写され、空気もゆるゆるとしている。
花開きかけた恋が大輪になるような派手さも、無惨に朽ちていく悲惨さもない。
でも何故かじんわりと時間が経つ程に染みていく、不思議な作品である。

併録の「センスなし」は、不倫している夫と不仲の主人公保子が雪の日に出掛ける話である。
学生時代の友人、みどりと電話で話しながら、みどりと共に聖飢魔Ⅱを聴いていた学生時代のことを思い出す。
私はどうせ音楽のセンスが悪いと自分を蔑むみどりに対して、音楽のセンスがいい夫良一。でも彼は愛人との趣味の悪い写真をカメラに残し、アダルトビデオを何本も延滞して保子に迷惑を掛ける。
保子は涙が透明でないことに気付く。
音が吸い込まれるような雪の日、どこかから聴こえるG線上のアリア。
「センスなし」なのに、センスのいい静かな余韻が残る作品。

「泣かない女はいない」詳細はこちら

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2009/09/17

夢、焦がれる、手に入れる。

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※六本木の路地で会った子

今週、体調が良くない時期なのに残業続きでだいぶ無理をしていた。
パソコンのキーを叩きながら、たまに意識朦朧・・・。
身体の不調は普段気にならない事をクローズアップし、嫌な考えを誘発する。
そうして多分ぽかんと落ち込んでいた。

昔々、5年前くらいのmixiの日記を一寸読み返した。
書いたことすら覚えていないようなものから、印象深い出来事まで、様々。
そんな駄文の隅に、ある夢、野望、が書かれていた。
そうだ、この時の夢かなってるじゃん。
そういえば、デザイナーになることを夢みていた時期もあった。
今では「デザイナーさん」と会社で括られ呼ばれることに、何の違和感もないくらい自分の仕事になってしまっているけれど。

人は、何かを手に入れてしまうと、それに焦がれていた日々のことを段々と忘れてしまう。
自分にどんどん馴染んで日常になってしまう。
特に私は色々なことを忘れっぽいというか、過去と今の自分をうまく繋げられないタイプの人間なので、今ばかりを見てしまう。
それでもいいのかもしれないけれど、でも気弱になって自分に自信がなくなった時は、ふと思い返してみるといいのかもしれない。
今の自分には何も無い、なんて思うこともあるかもしれないけれど、そんなことなくて。
夢、というと大袈裟かもしれないけれど。
でも、着実に努力をして前はなかったものを手にいれているじゃない、と。
物だけじゃなくて、知識や思考や経験や技術や思い出も。
抱え切れない程たくさんの、自分だけの何か、を。
きっとそれはこれからもどんどん増える。
今は夢だと思っている何かも、いつかは日常に。

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2009/09/14

ヴィヨンの妻 / 太宰 治

ヴィヨンの妻

ヴィヨンの妻
太宰 治

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太宰治生誕100周年。
「斜陽」、「パンドラの匣」、「ヴィヨンの妻 桜桃とタンポポ」、「人間失格」と映画化が続いている。

太宰作品は斜陽しか読んだ事がなかったので、他も色々と読んでみたくなりまずはこれを手に取ってみた。

これは表題作の他、『親友交歓』『トカトントン』『父』『母』『おさん』『家庭の幸福』絶筆『桜桃』を収めた短編集である。
以下、とくに心に残った作品の感想。

親友交歓

突然訪ねて来た小学校時代の同級生。
当時貴重な酒を飲ませろとねだり、主人公には覚えの無い昔話をしながら遠慮なく飲み干していく…という話。
元同級生の図々しさが凄まじく、ここまで酷いと笑えてくる。
はじめは大きい事を言いながら段々話が小さくなっていく同級生の描写だとか、主人公が最後の期待をかけた同級生の歌のオチのところの間など、絶妙で面白い。
もし我が家にこんな風に図々しい人が訪ねてきたらどう対抗したらいいのだろうか、と、一寸考えてしまった。

トカトントン

青森に住む二十六歳の男が、作家太宰のもとに相談の手紙を寄越す話。

何か物事に感激し、奮い立とうとすると、どこからとも無く、幽かに、トカトントンとあの金槌の音が聞えて来て、とたんに私はきょろりとなり、眼前の風景がまるでもう一変してしまって、映写がふっと中絶してあとにはただ純白のスクリンだけが残り、それをまじまじと眺めているような、何ともはかない、ばからしい気持になるのです。

この男はこのように、終戦後何かに熱くなると「トカトントン」が聞こえるようになってしまい、何もかもがすっと冷めてしまうという奇妙な作品。この男の視野の狭い考え方や身に起こることが面白くて、くすっと笑いたくなる。
何かに対する情熱や苦悩、渦中にいる本人にとっては生きるか死ぬかの大事だったりするけれど、すっと俯瞰して客観的に見たら、案外どれも馬鹿馬鹿しいことなのかもしれないという気がしてくる。かーっと熱くなってしまった時に、はっと我にかえること、それがきっとトカトントン。
けれど人生は時にそんな得体のしれない霧に包まれて酔えるからこその良さもあったりして、なんでもかんでもトカトントンと覚めてしまったらそれはそれで退屈だよなとか色々考えてしまった。
とりあえず、何かに悩んでしんどい時に「トカトントン」で冷静になるのはいいかも。
はい、トカトントン。

ヴィヨンの妻

「なぜ、はじめからこうしなかったのでしょうね。とっても私は幸福よ」
「女には、幸福も不幸も無いものです」
「そうなの? そう言われると、そんな気もして来るけど、それじゃ、男の人は、どうなの?」
「男には、不幸だけがあるんです。いつも恐怖と、戦ってばかりいるのです」

作家である夫はいつも大酒を飲み歩き、浮気をし、妻と子供のことを全く顧みない。
ある日夫は行きつけの飲み屋さんからお金を盗んで逃げてしまう。
妻はその飲み屋を手伝うことにするが…という話。
酒ばかり飲んで家庭を全く大切にしないどうしようもない夫、でも何故だか憎めない。
そんな夫と献身的な妻について描かれている。
あらすじだけでは良さが伝わらない話である。
この作品は、この夫婦間に横たわる空気がいい。
どんな状況であってもいちいち悲観せず、また、過剰な期待もせず、何とかなるわという感じで逞しく生き、小さなことに幸せをきちんと感じる妻は、繊細で悩んでばかりいる夫の対極にある。
普通であれば崩壊してどうにもならなくなっている夫婦、でも妻が飲み屋さんで働きはじめることで母から女になり、夫婦の間には恋人同士のような新鮮さが生まれているようにも思える。一緒に家路を辿る様子がいい。
こういう夫を肯定はしないけれど、何かに悩み絶望している人は、この妻の姿勢から何かを学べるのではないだろうか。
そう、生きていさえすれば。

桜桃

子供より親が大事、と思いたい。子供のために、などと古風な道学者みたいな事を殊勝らしく考えてみても、何、子供よりも、その親のほうが弱いのだ。少くとも、私の家庭においては、そうである。

主人公は、お決まりのように酒飲みで、これまた家庭を顧みない男である。
子供より親が大事、親のほうが弱いのだから仕方がないじゃないか。
そう言い訳をして家庭の問題から目を背け、逃げ、やけ酒に走る。
でも、そうして逃げている間にも、実は家庭のことが頭から離れない。
繊細で不器用だから自らの愛情をうまく家族に示せず、妻との会話もどこかすれ違い、子供の発育障害も気に病み、結果非道な父親として酒や女に逃げているだけで、本当は家族とあたたかい家庭を囲みたいのではないだろうか。桜桃の首飾りの美しさが、本当の父の愛情の形なのだろう。
でも、素直になれない男は妻との会話もどこか噛み合ず、それでまたいちいち新しい傷をつくる。
短い話の中で、繊細で不器用で弱い男の哀切を見事に描いている。

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感想を書かなかった『父』『おさん』など含め、多くの作品に共通するのは、結局「桜桃」の感想でも書いた「繊細で不器用で弱い男の哀切」であるように思う。
お酒や女に逃げる事は些とも肯定できないけれど、一度踏み外してしまうとそのままするするするっと帰ってこれなくなってしまい、そんな自分に自己嫌悪を抱えてさらに相手と向き合えなくなって逃げてしまう、そんな状況は結構世の中に多いように思う。
掛け違えたボタンは早くなおせばそれだけ傷が浅いのに、放って次のボタン、次のボタンへといってしまうから戻る事がますます難儀になり、でも掛け違えているせいでずっと着心地は悪く、それを忘れようとさらに次のボタン、次のボタンへといってしまうという悪循環。
ごわごわとした感触はさらに気分を悪化させるだろう。

状況だけみると暗くなりそうな話なのに、どこか軽快なのは太宰が描く間が絶妙で、そこここにさらっとユーモアが散りばめてあるからだろう。
どれもこれもうまく纏められた短編ばかりで、無駄な言葉のない作品をつくれるセンスをひしひしと感じる。

「ヴィヨンの妻」詳細はこちら

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2009/09/12

遠くむこうに覗くもの

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よく、現実感を喪失する。
自分と世の中を結ぶコードのようなものを見失う。
毎日当たり前のように繰り返していることさえも
遠く昔のことの手触りとして記憶から取り出される。
帰り道、階段をのぼっている時に。
空を見上げた時に。
自分の両の足が何を踏みしめているのか一瞬わからなくなる。

世の中の流れるスピードを何となく認識したい時はテレビを点ける。
虫の音とか音楽とかは、ゆるゆると流れ、どれだけ時間が経っているのかわからなくなる。
でも、テレビのざわめきは、
世の中の流れるスピードをその呼吸で何となく知らせる。
テレビはそんなに好きってわけでもないと思うのだけど
そんな理由で平日の朝は起きると必ず点ける。
たぶんこれをやらないと、
現実感を喪失したまま、糸の切れた凧よろしく、
するするっと違う隙間にきっと迷い混んでしまう。

最近この白昼夢にも似た一瞬が私の思考とは関係なく頻発していて、
でもストレスを抱えているとか現実逃避をしたい何かがあるわけではなくて。
皆普通にあるものなのだろうか。

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2009/09/10

スパイラルカフェ「文庫本セット」

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先日、ずっと気になっていた「スパイラルカフェ」の「文庫本セット」をためしに行って来た。
休日にこのために行くよりは会社帰りにぷらりと行きたいなと思っていたら、気になり始めてから数ヶ月経ってしまっていたけれど…。

「文庫本セット」とは、スパイラルと、ブックセレクトを手掛けるNUMABOOKS ブック・コーディネーター内沼晋太郎さんとのコラボ企画。
内沼さんセレクトの5タイトルの文庫本 (月替わり)と好きな飲み物とがセットになる。
セットで1,200円って高い気もするけれど、スパイラルカフェは珈琲一杯790円なのでまぁそんなものかなっていう感じ。

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こんなかんじで、5冊が紹介されている。
どれにしようかな…。
私が行った時のラインナップは以下。

1 川上弘美
  『センセイの鞄

2 長嶋有
  『泣かない女はいない

3 ジュンバ・ラヒリ
  『停電の夜に

4 吉田篤弘
  『つむじ風食堂の夜

5 ジャン=フィリップ・トゥーサン
  『テレビジョン

メニューを捲ると、それぞれの本の簡単な特徴と、書き出しの数行が掲載されている。
1番だけは読んだことがあったのでそれ以外で検討。
2番と4番で迷って、結局2番にした。
書き出しのピサの斜塔の描写にひかれたのだ。

後で知ったのだけれど、4番はクラフト・エヴィング商會の物語作家による長編小説だそう。
クラフト・エヴィング商會は数年前に一寸はまって、「どこかにいってしまったものたち」などうちにも数冊本がある。
暫く読み返していなかったことを思い出した。
空想に美しい魔法をかけて閉じ込めたような、独特の世界観。
今度久々に読み返そうかな。

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文庫本は、ケーキのようにきちんとお皿に載せられて出て来る。
「さぁ召し上がれ」という雰囲気がいい。
オリジナルのブックカバーにはちゃんと文庫本のタイトルと作家名が印字されている。
オリジナルの栞もつけてくれたらパーフェクトだったのに。惜しい。

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飲み物はカプチーノにした。
泡がきめ細やかでとても美味しかった。

今まで、スパイラルでお買い物をしたことはあってもスパイラルカフェにはいったことはなかったのだけれど、ゆったりとしてとても居心地が良く、読書向きだった。

長嶋有さんの作品は、過去に「サイドカーに犬」と「猛スピードで母は」を読んだきり全く読んでいなかったので(もう7、8年くらい前だ)きっと自分で本屋さんに行ったとしても手にとらなかったであろうと思われる。
自分だったら選ばないであろう作品と出会えるのが、この文庫本セットの醍醐味。
そうそう、「猛スピードで母は」はまだたしか持っていたので、また読み返してみよう。
ちなみに今回選んだ「泣かない女はいない」は既に読み終わっているので、今度感想書きます。

普通なら、カフェで本でも読もうとなればまずは本屋さんに行かないといけないけれど、カフェで本選びも出来て一石二鳥。
期間限定と言わず、常設メニューにして欲しい。
普段本をあまり読まない人が読むきっかけにもなりそう。

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2009/09/07

卵の緒 / 瀬尾 まいこ

卵の緒

卵の緒
瀬尾 まいこ

坊っちゃん文学賞大賞受賞作

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僕は捨て子だ。子供はみんなそういうことを言いたがるものらしいけど、僕の場合は本当にそうだから深刻なのだ。

育生は母親と二人暮らし。
自分は本当の子供ではないのではと思った育生は、学校で教えてもらった「へその緒」を見せてくれと母親に頼む。
しかし母親が見せてくれたのは卵の殻。
「母さん、育生は卵で産んだの」
けろりとそんなことを告白され・・・という話。

卵の殻や卵で産んだ発言を見ればわかるように、育生の母親は一般的な母親像とは異なる。
少し変わっていていつでものほほんとしているけれど、自分が思った通りに行動し、育生への愛情を真っ直ぐ示す人だ。
そんな様子を見ていると、へその緒でも卵でもどちらでもいいじゃないか、という気持ちになってくる。
一番大切なのは今そこにある愛情なのだと。
この親子の軽快なやりとりがほほえましく、とても優しい気持ちになれる作品。
誰かを大切に思うこと、大切な人と美味しいものを食べること、そういうことの重要さを再認識し、自分も誰かとあたたかい食卓を囲みたくなる。

そういえば先日、駅のホームで電車を待っていたら、もの凄い勢いで子供を怒鳴る母親がいた。周囲の人は驚いて皆振り向き、子供は鳴き声もあげずに項垂れていた。いつもああいう叱り方なのかもしれない。
でも、本当に子供の為に叱る言い方と、大人げなくかっとなってぶつける怒鳴り声は、第三者が聞いても違いがわかるものだ。
育生の母親のように、心底息子を愛して、愛して、愛情を注いでいたら、きっとああはならないのではないだろうか。
親は大人としていつでも冷静に、でも心はうんとあたたかく。
そんな風にあって欲しい。
理想だけど。

併録の「7's blood」は、異母兄弟の七子と七生の話。
母親が刑務所にはいってしまった七生を七子たち母娘がひきとったところ、すぐに七子の母親が体調を崩して入院することになり、結局七子と七生二人で生活することになってしまう。
はじめはなかなかうまくいかない二人が次第に気持ちを通わせ、絆をつくっていく過程は、表題作同様とてもあたたかい。
二人が深夜から早朝にかけて散歩する場面がとても好き。

家族は、本当にあたたかくて、そこには必ず強い絆がつくれる。
家族間で傷つけるとか悲しいニュースが多い昨今、こういう本が広く読まれるといい。

瀬尾さんの作品は初めてだったのだけれど、読んでよかった。

卵の緒の詳細情報はこちら

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2009/09/02

活字の濾過

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※みんな大好き、庶民派スーパーフランプリ。

本を読む、音楽を聴く、映画を観る、アートを鑑賞する。
何でもそうなのだけれど。
たとえば、「本を読む」という行為は、文字が読めれば誰にでも出来る。
だから、何の本を読んだか、ということが大事なのではなくて。
大切なのは、「それが自分の内に何を生んだか」ということなのだと思う。

なんとなく、「こなすこと」に躍起になってしまって
味わうことや、その先そこから何を感じるのか、ということを
さらさらっと流してしまっていることがある気がする。
何かに急かされているような心持ちなのだろうか。

本は、読む度に姿を変える。
その人がおかれた状況。
思考。
その人のフィルタを通して沈殿するもの、それは100人いれば100通りなのだ。
スーパに行って、新鮮な野菜に魅力を感じる人がいれば、
安売りのお菓子の棚ばかり見てしまう人がいるように。

何をどう受け取れるか、というのは、その人の知識や経験、感性によって大きく変わる。
知識や経験は多ければ多い程、一つのエピソードからより多くのものを紐づけて呼び寄せるから、たくさんあるに越したことはない。
私はもっともっと知識を深めないといけないと思う。
私には、まだまだ足りないものがありすぎる。
世の中は未知に溢れている。

私は本を読み返すのが好きだ。
だから、いつでもさっと読み返せるように、多くの本を所有してしまうのだと思う。
ページを開くと、そこにある活字は、その時その時で色を変えるから。
あの時響かなかった言葉が痛いくらい響くこともあれば
勿論変わらずずっと好きな言葉もある。

あ、そういえば角田光代さんの作品「さがしもの」でも似たようなことをいっていた。
これは本をテーマにした9つの短編集。
同じ本が読む年齢によって全然違う印象になるという話があった。
以前通勤中に読んでいて、読みかけのままだった。
複数の本をちょこちょこ読み出すと、必ずこうやって読み途中のままの本がでてきてしまう。
今読み途中の本は果たして何冊あるだろう。
そしてそのうちの多くは、もう一度はじめから読み返さないとストーリーを忘れていそうだ…。

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オテル モル / 栗田 有起

オテル モル

オテル モル
栗田 有起

第131回芥川賞候補作

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悪夢は悪魔

会員制地下ホテル「オテル・ド・モル・ドルモン・ビアン」は、都会のビルとビルの間を抜け、そこに密かにある地下へと続く階段を下りた先にある一風変わったところ。
ホテルはまるでもぐらの塒のように全フロア土の中、地下13階建て。
チェックインは日没後、チェックアウトは日の出まで。
お客様に最良の眠りを提供するためだけにあるそのホテルで、「誘眠顔」の希里はフロント担当として働きはじめるが…という話。

希里には薬物中毒の妹、沙衣がいる。
双子のはずなのに、周囲の人を惹き付けるのはいつも沙衣。
繊細でよく気がつく沙衣は、もともと身体が強くないのに薬物中毒になってさらにぼろぼろになってしまう。
すぐにでも壊れてしまいそうな沙衣とマイペースでおっとりとした希里は双子なのに正反対。自由勝手に生きる沙衣と、それを影から支える希里とは、周囲に「陽と陰だ」と言われる。
そんな沙衣に希里はあっさりと彼氏をとられ、沙衣は妊娠し、一人娘の美亜を生む。
薬物中毒の治療の為に入院したっきりの沙衣の代わりに、希里は元彼氏でもある沙衣の夫西村さんと同居をし、美亜を育てるという複雑な環境に身をおいている。

普通であれば、どろどろとした争いが起こりそうな筋書きだけれど、この作品は全くそうではない。
希里は静かに苦しみを抱えてはいて、ホテルへの就職もその辛い状況から少しでも遠ざかる為のものではある。
けれど彼女は決して妹を憎むこともなく美亜へも愛情を注ぐし、そもそも眠りのための不思議なホテルに象徴されるように、ストーリー全体が夢の霧に覆われたような印象の話なので、感情とか諸々の波が押し並べて穏やかでふわふわとした印象がある。

昼と夜。
覚醒と眠り。
地上と地下。
陽と陰。
現実と寓話。
相反する要素の共存によって世界は成り立ち、そのどちらかだけでは途端に崩れてしまう。
「オテル・ド・モル・ドルモン・ビアン」は、前者の世界で満たされない者たちを後者の世界で満たしてあげる為の存在である。
光の裏でこっそりと息づくそれらは、静かな魅力をひっそりと湛え、眠りの隙に雪崩れ込む。

夜の闇に支配された不思議なホテルを舞台に繰り広げられる、夢の続きのような話。
私もこのホテルで眠って、自分に必要な夢をみてみたい。

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