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2009/05/04

火星の人類学者—脳神経科医と7人の奇妙な患者 / オリヴァー サックス

Mahoro

火星の人類学者—脳神経科医と7人の奇妙な患者
オリヴァー サックス

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脳に何らかの障害を抱えた人々の、7つの話を脳神経科医オリヴァー サックスが紹介する。サックスは、あの「レナードの朝」の原作者でもある。

健常者と比べて何かが足りない事、それは時には大変なこともあるしより一層の努力が必要なこともあるけれど、その世界はその世界できちんと成り立つようになっていることがわかった。

印象深かった話をピックアップして感想を。
内容にも少し触れます。

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色盲の画家

色盲というのは、赤と緑など色の区別がつきにくいというものであり、ごくまれにどの色もわからなかったりする、基本的には先天性の異常である。
しかしこの患者ジョナサンは65歳にして事故が原因で完全に色を失ってしまった。しかも彼は画家なのである。
「色」を失った時、それはただ目の前からなくなるだけではなくて、脳からその色の存在自体が消えてしまうようである。色の知識はあっても、その色は思い出せず、みる夢からも色彩が失われる。
だから、目を閉じて鮮やかな色彩を思い出すということすら出来なくなってしまうということに驚いた。例えば、以前見た色鮮やかな向日葵を思い出したとしてもそれは記憶の中ですらも黄色くなく、ただのグレーの花ということになる。
それまで色の洪水の中で生きていた彼は、白黒とグレーの明度だけの世界(脳の中で色という概念で情報が処理される前段階のものを見ているので、白黒テレビや映画の画面ともまた違う気持ちの悪いものらしい)で生きて行かないといけないのである。

私はデザイナーで、普段仕事で「色」というものは切っても切り離せないものである。
そういえば、以前色彩感覚をテストするマンセルヒューマンテストをやったのだけど、スコアはパーフェクトだったので、色彩感覚は一応あるのだと思う。あまりよくないディスプレイでやったんだけれど・・・。(やりかたは「誰でもカンタンに自分の“色彩感覚”をチェックできるWEBサイト」の記事を参考に)
だから、「色」を日々意識している者として、同じように仕事で「色」とともに生きてきたジョナサンの喪失感の大きさを想像すると目眩がする。
しかも、ジョナサンは私なんかよりもずっと凄くて、色を見ただけでパントン社の色相表の何番かまでわかったのだという。
その感覚であったり知識であったりが、一瞬にして不要な物になってしまうということは、それまでの彼の人生で積み上げてきたものの意味を問う一大事ではないだろうか。

「色」という概念さえも壊れていき、目の前にはただただ黒から白(もっとも彼によると純粋な白はなく、煤けた薄いグレーに見えるようである)への明度だけで成り立つ光景。私たちからしたら絶望的な、勿論障害をおって間もない頃の彼にとってもそうであっただろうに違いない状況。
でも大脳皮質をはじめとしたこうした障害により色を失った場合、必ず忘却が訪れるのらしい。色への拘り、喪失感が薄れていった頃、彼の芸術には違った変化が訪れる。

彼の描いた絵が何枚か掲載されているのだけれど、事故後の塞ぎ込んでいた彼、二年後の解き放たれた彼の様子が如実に絵に現れていて興味深い。
変化に合わせて、失った能力の代わりに違った能力を開花させ、新しい世界へ適応していけるものなのだな。人間の順応性って凄いと、ただただ感嘆。

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「見えて」いても「見えない」

盲目だったヴァージルは、婚約者のすすめで、50歳にして手術をして視力を取り戻した。

でも、ドラマや映画のように包帯をとった彼が「見える!見えるぞ!!」と言い、周囲は感動、めでたしめでたし、というような単純なことではないらしい。

手術後、包帯を外したヴァージルの目に飛び込んで来たのは光と色と動きの混沌とした世界。意味をなさないぼんやりとした光景でしかなく、どれが人なのかもわからなかった。
ずっと物を認識する為に手を使ってきた人は、例えば触れば一発で立方体だとわかるけれど、見ただけではそれが何なのか認識できないらしい。猫と犬の違いさえもわからない。触れば、「見える」ようになるのだそうだ。

私たち五感が備わった者は、「空間」と「時間」の世界で生きているけれど、盲人は「時間」だけの世界で生きている。
だから、私たちが広い空間の一部分に自分がいる、と考えるのとは違い、盲人にとっては存在する空間=自分自身サイズでしかなく、人も物も自分と接触した後にどこかへ消えていくという認識だということに驚いた。例えば、さっきつまづいた石は、通り過ぎた後に消えている認識ということなのだもの。

私たちが生まれてから自然に獲得した「視覚の恒常性」や「空間」の認識、ヴァージルの前にはそれを50歳にして学習していかないといけないことの困難さが立ちふさがっていた。
目を開いていれば「見えて」いるという単純なことではなく、例えばどこへ焦点を合わせるのかとか、どうやってそれがそれだと認識するのかといったことには経験が必要であり、経験がない者には「見る」ことも出来ないのだと知って驚いた。
考えてみればたしかにそうなのだけれど、普段何も意識せずに出来ていることだけに、視力が回復したら誰もが得られる世界だと勘違いしてしまう。

私たちだって、仮に、視覚でも聴覚でも触覚でも味覚でも嗅覚でもない、新たな感覚が実はあるんですって言われ、急遽その感覚が使えるようになっても戸惑うでしょうし。
ましてや、視覚をつかわずにその感覚をつかって世界を認識してみろとか言われても、大混乱だ。
ないものを与えることは良いことだと思ってしまいがちだけれど、必ずしもそうではないのかもしれない。
それまで自分が過ごしてきた世界の価値感、それが良くも悪くも大きく変わってしまうということは、自分自身の何かも変わってしまうということ。
まわりがそれをよかれと一方的に押し付けることは、ある意味暴力的行為なのだなと思った。

例えば、文明的に遅れた国があったとして。
先進国の知識や技術を便利だよと教えてあげたとして。
その結果、便利になった一方で、公害が起こり自然が破壊されてしまったとしたら。
果たしてそれは必要だったのだろうか、というようなこと。
何かを得るということは、何かを失うということ。

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夢の風景

イタリアのトスカーナ州の丘陵の村、ポンティトのことばかりを描き続けるフランコ・マーニャ。
非常に精密なその絵は、全て記憶だけを頼りに描かれたという驚くべきもの。
絵と比べるために実際に写真に撮って来た人もいるのだけれど、それは彼の記憶の素晴らしさの照明になった。その絵と写真は掲載されているのだけれど、ここまで鮮明に思い出せることに驚く。

フランコの頭の中には、故郷ポンティトの立体模型があり、様々な角度から眺めたり、ひっくり返したりして、それを忠実にカンバスに再現できるのだという。
それだけなら、希有な能力を持った画家、ということになるのだけれど、フランコの場合はその驚異的な記憶力が発揮されるのはポンティトにのみ限り、そしてその思い出は彼の意思とは無関係に湧き出てくるというのだ。たとえば食事中に、わーっとポンティトの幻影が押し寄せてくると、彼はスケッチをする為に食事を中断してしまう。その幻は、角度を変えて見る事ができるだけではなく、匂いや音も伴うのだという。
思い出に支配されてしまったフランコ、彼は過去を芸術として高め生きる目標としていく一方で、新たなる未来を失っている。

引用されていた、キルケゴールの言葉が印象に残った。

記憶は最低条件にすぎない。記憶という手段によって、経験が思い出を経て聖なるものとなる……思い出は理想だからだ……そこには努力と責任がともなうが、無差別的な記憶にはそれがない……したがって、思い出すということは技術である。
(キルケゴール「人生行路の諸段階」)

経験をただ「記憶」としてストックするのではなく、それから不要な部分を削ぎ落とし、スパイスをかけ、「思い出」として昇華して必要な時に味わう、といった行為を、私たちは無意識にやっているけれど、そうか、それも技術のいることなのだなと妙に納得した。

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火星の人類学者

テンプル・グランディンは、自閉症であるにも関わらず、動物学で博士号をとり、州立大学で教え、さらに事業を経営している。
動物管理システムの精密な設計図を書ける一方で、複雑な感情が理解できない彼女は、自らを「火星の人類学者のようだ」という。
彼女は、「論理的」に人とコミュニケーションをとる。
人がどういう時にどういう行動をするか?といった「知識」が彼女の頭の中のライブラリーにストックされていて、必要に応じてとりだして参考にする。自分がそう思ったからと行動するのではなく、どうすることが世の中的に自然なのか?という知識に基づいた社交。彼女は、自分の「感情を理解できない」という欠点を、努力でカバーしているのだ。

テンプルは、娯楽も友情も愛情も自分が体験することは諦めている。何かに夢中になることはなく、感動することもなく、誰かに特別な感情を抱く事もない、そんな自分を極めて冷静に客観視している。
自分が周囲と違う事に気付いてしまって、そこには埋めようのない溝があることを知って、どうやっても自分が皆のように生きて行けないことを悟るというのは、どういった感じなのだろう。
だが、そんな彼女は動物の気持ちだけは非常によく理解出来る。動物の感情には、人間のように嘘やまわりくどいものがなく、シンプルだから。いわゆる「空気を読む」といったことが必要のない世界。「言わないでもわかるだろ」なんてことのない世界。動物たちは自分たちの感情を隠さないし、悪巧みもしない。ましてや騙したりもしない。
人の感情は理解できなくても動物の感情は理解出来る・・・そんな彼女をみると、私たち人間の駆け引きだったりまわりくどさだったりっていうのは何なんだろうねって思う。

彼女は、エネルギーの痕跡として遺伝子を残せない代わりに、思想や書いたものを残したいという。
残す事で、自分の人生に意味があったと納得したいのだと。
感情が理解できなくても、人と違っても、彼女は自分の生をこんなにも丁寧に見つめて、自分の存在の意味を考えている。
何も人と違わず、五体満足で生まれて来た人々の中で、そういった考えに行き着くことがない人だって大勢いるはずなのに。
ハンデがあることと、それを背負ってなおも努力していることが、彼女の生を思想をより一層磨き、輝かしているのだと思った。
知的でクールで素晴らしい人。

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本書は、「くらやみの速さはどれくらい」を読んだおり、TBさせていただいた方に、紹介された本でありました。 書名だけは聞いたことがあり、機会があれば読んでみようと思ったんですが、そのまま忘れ去ってしまい、紹介していただいて思い出した次第です。 著者、オリヴァー・サックスは「レナードの朝」の著者でもあり、私は映画でしか観ていないのですが、とても好印象の映画であったとの記憶がありました。 本文を読み始めて、最初に気づいたのは、文章からあふれる、著者の暖かいまなざしです。 医学エッセイということもあり、難... [続きを読む]

受信: 2009/05/05 22:03

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