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2009/03/18

プレートを見上げる、居場所を確認する

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※好きなエリア、パリの下町13区ビュット・オ・カイユ

最近もらったメッセージ、の要約。

足りないものを数えるのではなくて、
今あるものを数えること。

負のことを考えたり言葉にだしたりするのではなくて
美しく愛のあることを考えて口にだすこと。

くだらないことでぐじぐじ悩む時間があったら
部屋でも片付けなさい。

その時自分に必要なメッセージは、様々なかたちで目にするのだけれど
あんまりにもどんぴしゃなものが届くと驚く。

ここのところずっと、本が雪崩を起こし、もの凄く多忙な人の締め切り前の書斎のようなことになっていて、でも私はそこまで多忙ではなく、ここは書斎ではなくご飯も食べる部屋。
インプットやアウトプットに気を取られて、基本的なことがおろそかになっている私は、心底駄目な大人だなぁと思う。そしてインプットはしてもアウトプットが些ともうまく進んでいないのだ。

駄目だ、駄目だ、とわかっているのに、渦の中から抜け出せないことがある。
湯船に浸かっていて、お湯が段々冷めて肌の温度に近づいてきているのにお湯から上がれない時、みたいな。
別に見たいものがあるわけでもないのに、だらだらインターネットを続けてパソコンの電源が落とせない時、みたいな。
最近の私はずっとそんな、薄く甘いジュースを飲み続けているようなパンチのない自己嫌悪に引きずられるままそれを振り払う気持ちの強さもなく、軟体動物のようにぐにゃんとしていた気がする。

パリ13区の存在は、私が感じた本当の一人ぼっちの記憶に繋がる。
ビュット・オ・カイユを訪ね、その後パリ最大の中華街を歩いたあの日、アジアとパリが融合したどこかレトロで不思議な中華街の景色を見ながら、ああ私は今一人だなと唐突に実感した。
その日の気候のせいなのか、景色のせいなのかわからないのだけれど、何となくそれをその時実感する為にパリに旅行をしなければいけなかった気がしたくらいのインパクト。
冷たい空気に包まれた凛とした孤独は、些とも寂しくなかった。
自分の外側が何処までなのかがはっきりわかることで、自分の内側を丹念に見ることができたのだ。

最近の私は、多分、この、自分の輪郭を見失っている。
軸がぶれている。
ぐらぐらだ。
それなのに、しんどいから何処かに行かなくてはとあてもなくほっつき歩いているのだけれど、ぐらぐらのぐにゃぐにゃで進めるわけない。
そんな私に向かって、私のことを些ともわかっていない人が、私の形の定義を押し付ける。
それで余計に混乱して、違う違うと思って、ぐにゃぐらに拍車がかかる。
たまに取り戻すのだけれど、また暫くするとぼんやりと霞んでぶれる。
ここ1年くらいずっとそんな調子で、私らしくないのだけれど。
らしくない、は、続くと、いつかそっちのほうがらしいになってしまうので怖い。

実体と影がじわじわと入れ替わっていくという怖い話があった気がするけれど、そんな風に影の自分が膨張していつか本体を食べてしまわないように。
思いで、言葉で。
自分を認めて、形を感じて、きらきらした砂を撒いて道筋をつくらなきゃ。
もう、見失わないように。

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