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2008/08/17

7月24日通り / 吉田修一

7247月24日通り
★★★
吉田修一

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地方都市に住むOLの小百合。
港が見えるその街を、地形が似ているポルトガルのリスボンという街に例えて過ごしている。
いつも乗るバスの停留所は「ジェロニモス修道院前」だし、岸壁沿いの県道は「7月24日通り」だし、水辺の公園は「コメルシオ広場」だし、オフィスがあるのは「ガレット通り」だ。

地味で特に目立つところのない小百合は、誰もが口を揃えてかっこいいと言う弟の耕治が誇り。
そんな小百合は同窓会で、高校時代憧れていた聡史と再会するが・・・という話。
以下内容にふれていきます。

男性が書いたとは思えないくらい、主人公の女性のキャラクターが自然に感じられる話。
女心がよくわかっていたり、自分の街をリスボンに例えてしまう乙女チックさとか、なかなか面白い。
とてもかわいらしい話。

といっても、そこは吉田修一。
ただかわいいだけではなく、物語の終盤では、各章のタイトルの意味がわかり、はっとさせられる。

この物語の主軸は、主人公のコンプレックスによる、登場人物の二極化。
地味な私と、かっこいい弟。
弟と釣り合うとは思えない、どこか小百合を彷彿とさせる彼女のめぐみ。
憧れのかっこいい聡史と、見た目がぱっとしない真木や画家。
聡史と付き合っていた美人な亜希子。
そんな風に小百合側の登場人物と、小百合が憧れる美男美女たちとにすっぱりわかれる。

それは人物だけではなく、小百合が住む街とリスボンの関係でもある。

そんな小百合のコンプレックスは、停電した時に画家と2人で屋上から街を眺めた時に氷解する

「こんなにきれいだったんだ。この街」

小百合の価値感はここで姿を変える。
街に灯りがひとつひとつ灯っていくにつれ、ぱたぱたとオセロがひっくり返るように、反転したのではないだろうか。

もっとも、この街の姿を見たことはきっかけでしかない。
小百合が憧れる人たちも何かを悩んで苦しんでいる事、そして小百合に似ためぐみが殻を破って走り出した事などと相俟って、この場面と小百合の価値感の変化へと繋がっているのだ。

翌日、小百合は、自分の街を本来の名前で呼んでいる自分に気付く。

画家が小百合に言ったように、小百合は今の聡史が好きなのではなくて、高校時代の自分の為に聡史のもとへ行こうとしているのかもしれない。
個人的には魚喃 キリコの「南瓜とマヨネーズ」で、昔大好きだったハギオと会い続ける主人公の姿がオーバーラップする。
東京にいる聡史に会いに行く事は、今までの小百合だったら「間違ったこと」と進めなかった事。
でも小百合は「間違ったこと」をしてみようと決める。
間違えて、泣いてもいいから、殻を破って飛び込んでみようと思えたのだ。
そして、小百合は、前に進む。
正しい道かわからないけれど、それでも足を踏み出してみるのだ。
この場面ではじんとくる。

作中で小百合が覚えた「フェルナンド・ペソア」の詩の一節。

わたしたちはどんなことでも想像できる、なにも知らないことについては

この言葉の深さと物語の印象とが混ざり合って、何とも言えない余韻を残す。
だから吉田修一の作品って好きだ、と思う。
爽やかでありつつ、深く、よくできた作品。

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