パーク・ライフ / 吉田 修一
第127回芥川賞受賞作
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私が初めて読んだ吉田修一作品。
当時、芥川賞受賞作だということで本屋に平積みされていた。何気なく手にとって、まず一読。
主人公の日常生活を淡々と描写しただけ?とぴんとこなかった。当時は今よりも深く読み込もうとする姿勢がなかったっていうのもあるのかもしれないけれど。
でも何だか気になるので数日経って再読。
すると非常に丁寧につくられた話であることに気付き、旨味の詰まった小説であることがわかった。その時、吉田修一ってすごいと思ったのだ。
最近また再読。
すると、ほんとにほんとに素晴らしい小説であることを実感した。
この作品の書評を見ると、否定的なものは「都会の生活をただ淡々と綴っただけ」「何も起こらない退屈な話」といった感じのものが多く、肯定的なものは「何も起こらないけれど、細部の描写がよい」といったものが多い。
たしかにこの話は、日比谷公園を中心に主人公の日常が淡々と流れて行き、恋愛も始まるんだか始まらないんだかというところで足踏みしているくらいで何か大きな出来事が起こるわけではない。
でも、ストーリーと描写だけを見たのでは、このパーク・ライフの本当の旨味に気付けているとは言えない。
本当の旨味、それはこのパーク・ライフにでてくるエピソードが全て人間の身体に関係することである点。外側と内側を意識することの繰り返しなのだ。
そこに着目して話を読み進めていくと、非常に面白い。
以下、羅列していきます。読了後の人じゃないと何のことやらって感じだと思いますが・・・。
まず臓器移植の話。人間の身体は外側(身体)は自分のものでも中身(臓器)は人類共有のもので、他の身体に移動してしまうこともあるということ。
宇田川夫妻宅には、夫妻がいない代わりに主人公がいて、主人公の家には代わりに母親がいる。つまり、これも外側(住居)はそこにあっても、中身(住人)は入れ替わった状態。
両親や祖父母の体型までチェックする、つまり外側重視のロイヤルバレエ団の話。
主人公の会社で扱うのは、肌(外側)を美しくする為の入浴剤。
あることを思い出している時(内側)に、周り(外側)からはどう見えるのかという話。
モナリザ(外側)を描いたダ・ヴィンチの、間違いだらけの人体解剖図(内側)。
スタバにいる、外側だけを飾りたてて中身が実は空っぽなことを隠したがる女たち。
フィットネスクラブにおける、目では見えない筋肉の話。
お腹にいる時の赤ちゃんはただの異物だけど、自分の身体から離された途端に自分の一部だと実感した話。
ペアで販売されている人体模型。お腹が閉じられている方には内臓はあるのか?
部屋の中とマンションの外における洗濯物が干しっぱなしの関係。
気球を飛ばして、公園全体を俯瞰したい男。
猫背やイカリ肩の体型に合わせた服を、標準体型の人が着るとエレガントに見えるという話。
などなど。
そして・・・ラストの方で言われる「日比谷公園自体が人体解剖図のようである」という話がでてきた時に、あっ!と思わせられる。
私たちがうろうろしている園内はそれぞれ内臓で、行き交う私たち自身は食物か微生物のようなもの・・・。
ここで、読んでいる方は、今まで外側だと思っていたものがぐわっと内側になり、今までいた場所から視点がぴゅーっと上に上がって行く奇妙な感覚を味わえる。何かの外側にはまた何かがあって・・・というアニメーションでも見ているような。開けても開けても箱がある、の、逆バージョンみたいなやつ。
そして、今まで意識していた「外側」「内側」のエピソードたちが、わーっと押し寄せコラージュをつくっていく。
これはまさに、主人公が冒頭でやっていた、近景、中景、遠景をいっぺんに見る事による遠近の反転、軽いトランス状態というやつじゃないだろうか。
この感覚を味わわせる事が狙いでもあったとしたら・・・唸らざるをえない。
ただし、その感覚を味わえるかどうかは、主人公の真似をした近藤さんがいつも味わえないように、個人差があることなのだと思う。
ラストはラストで、色々な解釈ができて面白い。
もしかしたら彼女は妊娠していて、自分が生まれた産婦人科を目で確かめることで、出産を決意したのかもしれないし、ただ単に実家に帰るのかもしれない。もしくは自分のルーツを確認することで新しいことを始める勇気が持てたのかもしれない。
その事の真相は、主人公を含め外から見ている誰にもわからないのだ。
わからないのだけれど、彼女が何かを決めたこと、そのポジティブな思いだけは伝わってくる、爽やかな終わり方だと思う。
あるテーマにそったエピソードを細かく置いて行くことで、その全体像を描き出そうという素晴らしい作品だと思う。
「身体」その、内と外。
外だけを見て、何がわかっているのか。
外から見ている時に、その内では一体何が起こっているのか・・・。
当たり前だけどいざ再認識するとぎょっとしたりはっとしたりするようなものってあると思うのだけれど、まさにそれに気付かされ、深く考えさせられる話だった。
もっとも、吉田修一さんが実際にそう考えて書いたかはわからないのだけど、こういう楽しみ方もあるということで。
一つだけ疑問なのは・・・作中でスタバ女が「いつのまにかスタバの味がわかる女になっていたんだよね」と言う場面。スタバってそんなに特別かなぁ・・・美味しい珈琲が飲めるところはたくさんあるよねなんて思ってみたり。
でも、あえてそういう女を描きたかったんだろうか。
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コメント
うーんそこまで深読みできなかったな。。。
猿に有名デザイナーの名前をつけてるけど
皮肉ってるのですかね?
投稿: よしだ | 2007/10/11 03:40
私がただ単に深読みしすぎなのかもしれないですが(笑
猿っていう、人間の動物的部分を指すものにファッション界の独裁者の名前をつけるのは、おっしゃるように皮肉もあるんじゃないですかねー?
投稿: *yuka* | 2007/10/11 10:26