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2007/09/29

それでもボクはやってない

41qlrvfbj8l_aa240_「それでもボクはやってない」
★★★★☆
1987年
監督:周防正行
出演: 加瀬亮;瀬戸朝香;山本耕史;もたいまさこ;役所広司

映画の詳細情報はこちら
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十人の真犯人を逃すとも一人の無辜を罰するなかれ

痴漢冤罪事件をテーマにし、日本の司法の問題点を訴えた映画。
主人公の徹平は、転職活動中に乗った電車の中で女子中学生に痴漢だと勘違いされてしまう。
事情を訊くだけですから・・・と連れて行かれた駅事務室では事情等訊かれず、警察に引き渡されてしまう。
無罪の主人公は、そのまま勾留されてしまい・・・といった話。
以下、内容にふれます。

まず驚いたのが、当番弁護士が徹平に「認めちゃって、罰金払った方がいい」なんて、やってもいない罪を認めることを勧めたこと。本当はやっていないのに、認めちゃった方が楽だから認めろなんて明らかに歪んでいる。
「この弁護士何言ってるの?」と思うのだけど、後にその弁護士がそう言った背景とも言える、日本の刑事裁判の問題点が見えてくる。
「僕がやりました」と認めれば罰金を払うだけですぐに釈放されるのに、無罪を主張すると延々勾留と取り調べが続きそちらのほうが罰金よりも余程辛く、何より裁判にかかる期間も長過ぎる。
そして、その後無罪で釈放されるケースは3%程。
無罪でもどうせ有罪になっちゃうから、かかる期間や費用分戦うのは損だよっていう理屈なのだ。

この映画では、警察は頭ごなしに徹平を有罪と決めつけ「やったんだろ!」と怒鳴りながら調書をとっていく。
勿論、徹平に有利な証言は書かない。システムをよくわかっていない徹平は内容をよく確認もせず押印すればいいのかと押してしまい、後で困ったことになる。

以前も冤罪事件の映画を観た事があるのだけど、「何を言ってものれんに腕押し、糠に釘」な状況の恐ろしさってない。集団いじめのような気がしてしまう。
犯人と決めつけ、いかに自白させるかといった行為は、無実の人から見たら「悪意」以外の何ものでもない。四面楚歌、長い間その悪意にさらされ続けてしまえば、本人だってどこかおかしくなってしまう。
徹平はその苛立を心配してくれている友人にぶつけてしまう。

本来、裁判になった時には検察側が犯罪に関して立証しないといけないのだけれど、痴漢事件の場合は被害者の証言のみで進められてしまう。
だから、容疑者はいわゆる「悪魔の証明」をしないといけない。
当然ながら「無罪を証明する」ということは「有罪を証明する」ことよりもずっと困難なのだ。

徹平には、敵ばかりではなく勿論味方もいる。
弁護士、母親、親友、元彼女、同じ痴漢冤罪で戦っている人・・・などなど。
でも、それでも司法の壁は厚くて高く、無罪を主張する側の無力感を感じてしまう。
終始悶々とした思いを抱える映画で、結末にも納得がいかない。
水戸黄門が印籠を出したら正義は勝つのではないか!?という思いを、見事に裏切られる。
でも、それがこの映画の狙いだ。
視聴者に悶々とさせ、疑問を持たせ、考えさせるという・・・。

私もご多分に洩れず、痴漢冤罪事件について調べてみた。
それによると昨今では痴漢冤罪に対する問題意識の高まりにつれて客観的証拠が求められるようになっていて、「疑わしきは罰せず」の流れになっている。
一審判決有罪だったものが二審判決で無罪という事例が過去に何件もある。
もっとも、裁判官による差があるかもしれないけれど。

冤罪はあってはならないけれど、女性としては痴漢をした人が無罪釈放されてしまうことも許せない。
目撃者がいることが少ないうえに、被害者自身も犯人を確定できないことが多い痴漢事件においては、いつまでも何らかの問題が存在してしまい、永遠にすっきりすることはないのかもしれない。

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