無銭優雅
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『無銭優雅』はエイミー4年ぶりの書き下ろし長編。
本屋さんでたまたま見つけたので購入。
私が好きな森茉莉の「贅沢貧乏」っぽいタイトルだなぁと思ったら、エイミーは20代の頃から好きだったらしい。
42歳の花屋勤務の独身女性慈雨と同い年の予備校教師栄の恋愛小説である。
ちなみに、エイミーはただいま48歳。見た目とか感覚とか若い人だ、つくづく。
慈雨は実家暮らしで、二階で両親と共に生活をしている。
階下には、長男夫婦とその娘2人が住んでいる。
結婚もせずいい歳して実家で暮らす慈雨は、長男たちから「いいご身分」だと思われている。
栄と出会い、恋におちた慈雨。
「心中する前の日の心持ちで、つき合って行かないか?」
栄にそう言われた慈雨。
死の気配はいつだって恋愛を盛り上げる。
全体的に、ラブラブなカップル(死語っぽいけど、何て呼べばいいのでしょうね。相思相愛?)がノリノリで(これも死語?)お互いにこれでもかこれでもかと相手を褒めちぎり、どんどん好きになっていく様子は「ラビット病」といったかんじ。でも、ロバちゃんのように表裏なくユリちゃんを溺愛するというのとも一寸違うのだけど。ロバちゃんが動物の親子的な愛情であれば、栄は人間らしい愛情。
また、慈雨の天真爛漫な様子はポンちゃんシリーズのエイミーそのもの。
ただし、この作品は娯楽に徹したわけではなく、ちょっとした表現にはエイミーらしい文学的な美しい要素が散りばめられている。
例えばこんなかんじである。
「そして、つらい日、悲しい日、贈られたそれらを思い出し、現実が付けた傷を消毒する。そんな時、私は彼の匂いを反芻する。すると臭覚は、さまざまな記憶を掘り起し、しばしの休息を与え、私は、立ち止まり、彼の体の香を聞く。」
彼の匂いを反芻するとか、彼の体の香を聞くとか、なかなか痺れる表現である。
そういえば、以前こういった表現を小説内に用いたら(目が喋るような表現だったか)、編集者か誰だかに「目は話しません」とか言われたっていう笑い話はエイミーだったか・・・。
そういう想像力0の人って嫌だなぁ。
また、話の区切り区切りに、まるで栞のようにその場の空気を表現する様々な小説の一節が鎮座している。
たとえば慈雨と栄が庭で紫陽花に隠れたでんでん虫を見つけるところではこんな一節が挟み込まれている。
「ねえ、葉ちゃん。ハンガリアの諺に、『ピクニックは、ゆっくり景色をみないうちに終わってしまう』というのがあるのよ。つまり、人生なんて、あっという間に終わってしまうってことだけど、私、あなたといると、これから、まだまだ新しいピクニックに出かけられそうって感じよ」
40代を過ぎたところで、今まで気付かなかった景色に気付ける恋をしている2人の様子がよく表現できている。
また、栄が慈雨をお粥で看病するところにはこんな一説。
夜 冷たいすいみつ桃一個、カステラ。
何をしていても胸が一杯だ。
花子と入院の支度。
冷たい水蜜桃がすごく食べたくなる!!
・・・ではなくて、看病とかその準備といったものも 相手次第では素晴らしい行事のようなものになるという意味ですねきっと。
また、挟まれる一説には、死の匂いに満ちたものもあり、冒頭の「心中する前の...」と相俟って平穏な恋愛小説では終わらないのではないか?といった予感をもたらす。
この恋愛小説は、中央線 しかも西荻と吉祥寺を主な舞台としている。
私の狭い生活圏内ど真ん中(笑
作中ででてくるお店は名前こそ変えてあるものの、「あのお店だろうな」というものがあったりして、めちゃくちゃローカルな話を読んでいる気になる。
この小説は、中央線至上主義と感じる。
港区とかの都心じゃ味わえない良さがここにはありますと声高に叫んでいる気がする。
例えば、エルメスよりもユザワヤの紙袋がいいとか、
港区にいそうなセレブなマダムたちのあからさまな華やかさは野暮で、近所にいる日常の為の花を買うお客さんがいいとか。
姪の衣久子には「恋は中央線でしろ! ってかんじ」とまで言わせてしまう。
ただ、私にはここちょっと違和感。
実際、私も港区とかには住みたいとも思わない。
西荻最高って思っている。
でも、中央線、それも西荻界隈の良さというのはこうやって大々的に比較して賛美する中にはないと思うのだ。
もっとしっくり自然に生活に馴染んだ中にあるから、「なんかいい雰囲気の小説で、舞台は西荻でした」的な扱いくらいがちょうどいいと思う。
余談だけど、エルメスは職人技の素晴らしい製品で、きちんと美しく齢を重ねたマダムが持てば似合うし、エルメス自体を否定しなくてもいいと思うのだ。私は自分はまだ似合わないので買わないけど、うちの母親にはスカーフなんぞを買ってあげた、なんてさり気なく親孝行自慢。
それはさておき、結局は慈雨のようなタイプの女性が「私はこの街のことをよく知っていて馴染んでいます、楽しんでいます、この街はこんなに良いんです」っていう顔をしているのが嫌なのかもしれない。
おそらく、私がよく知っていて好きな街で、自分なりのイメージがしっかりあるからだ。
逆にエイミーからしたら、私が持っている街のイメージが「違う」のかも。
ちなみに、やまだないとの「西荻夫婦」にでてくるナイトーくんとミーちゃんはまさに西荻人だと私は思っている。
衣久子は慈雨を好きで慈雨の良さを代弁するキャラクター(ちょっと私にはむず痒い)。
「大人の恋っておしゃれしてバーでお酒を飲むようなものだと思っていたけど、慈雨ちゃんのような恋でいいんだ!」って衣久子同様目から鱗な人には最高な小説だと思う。
この作品の評価って、慈雨がどれだけ自分の好みかというところにもかかってくる気がする。
私はどうも、慈雨のことをそこまで好きになれないらしいし、目から鱗も落ちなかった(笑
ラストの方では、親からの愛情、親への愛情をたっぷり思わせるエピソードがあり泣いてしまった。
もうほんと最近こういう親絡みの愛情もの、弱いのですよ・・・ぐすん。
また、ちょっとしたどんでん返し?もあり、安心して立っていた足許をちょろっと掬われてしまい、「あらら」ともなる。
舞台設定や登場人物に一寸不満はあるものの、風鈴がちりんと鳴っていたり、栄がおからを炊いたり、慈雨がうどんを茹でたりする素朴な生活は好きだ。
栄の家は日本家屋なのだが、縁側や庭といった場面が多い。
私は古い日本家屋が好きなので、台所とか照明とか廊下とかコップとか・・・家全体から小物たちまでを丁寧に描いてくれたらより良かった。
差し込まれている小説たちを含め、美しい言葉が詰まっている本なので、とりあえず読み返したい。
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コメント
はい。読みたくなりました。
というか、この小説、気になっていたのです。
表紙にまずやられたの。
>彼の体の香を聞く。
うわ!
しびれた!
投稿: snow | 2007/03/22 23:09
うん、いい装丁だよね〜。
タイトルも良いし。
風味絶佳よりは軽くて読みやすいよ。
投稿: *yuka* | 2007/03/23 01:21
こんばんは♪
TBどうもありがとうございました。
生活圏ど真ん中だったんですね(笑)
私は地図上の位置がわかる程度にしか
そちらに土地勘がないので、
そのへんのニュアンスは
よくわかってないようです^^;;
慈雨と栄のラブラブぶりが、
心底ひたすらうらやましかったです^^
投稿: miyukichi | 2007/10/14 23:25
うちの近所で繰り広げられていた話しです。
実際、近所でエイミーを見た事もあります(笑
あの真っ直ぐなラブラブっぷりは、エイミーだからこそ書ける世界感ですよね。
投稿: *yuka* | 2007/10/15 01:43