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2006/11/19

買えない味

買えない味
平松洋子
筑摩書房
★★★★★
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Bunkamura ドゥ マゴ文学賞受賞作。

平松さんのことは、全く存じ上げていなかったのだが、帯に寄せられた山田詠美さんの
-特筆すべきは「色」があるということ。それは、優雅に、しかし、ほとんど野蛮なくらいに唐突に読み手にぶつけられる。-
という言葉にふらふらとひかれ、手に取った。
エイミーの、「言葉の色感」は著作「色彩の息子」でもわかる通り素晴らしい。
そのエイミーが「色がある」と言い切るならば、きっと美しく私が好きなものに違いない、という名の衝動買い。

この本は、その期待以上だった、
ただの「食のエッセイ」とするには勿体ないくらいに素晴らしい文体、その字面は下手な純文学よりもよっぽど芸術である。
そして、彼女のエッセイの根源は「昔ながらの美しい食卓」
箸置き、豆皿、漆、蒸篭、土鍋、晒し、鉄瓶、茶筒、木の弁当箱・・・などなど。
私自身、「昔ながらの日本の美意識」を大切にしたいと思いながらも、現代の便利な生活に流されてしまうことがある。
ペットボトルにはいった情緒もへったくれもない飲み物だとか、プラスチック容器にはいったオリ◯ンのお弁当とか・・・本当はいいと思っていないのに、便利だからとついつい手に取ってしまう。
でも、日々のそんな手抜きをこの本を読む事でがつんと指摘され、ぴしゃりと襟を正す事ができたような、そんな極めて清々しい体験。朝の澄みきった空気を吸った瞬間にも似た、自分が生まれ変われるような本。
器とか食にまつわるきちんとした何かを誂えたくなる。

この本は、各章の始まりが文学的だ。
「扉に閂を落とすように、夏はぱたりと終わる。」
むむむ、・・・痺れるなぁ。
夏の終わりの潔さがこの一行に込められている。
純文学でも、始めの一行でぐっと引き込む人って結構少ないものね。

これは私の持論なのだけど、食べ物は「誰かの為に」つくった瞬間、ものすごく美味しくなる。
それは作り手の気持ちが料理に宿るから。
だから、市販のお弁当とか、シェフが不特定多数の為につくったご飯とかは、素材がよくても味がよくても、「何か」が物足りない。
ほこほこと心の芯まであっためてくれるのは「誰かが誰かの為につくった手料理」である。
この本を読むと、そんな気持ちを再確認できる。

「買えない味」
それは、昔はどこの家庭にもあったもの、最近失われつつあるもの、そんな気がする。

とりあえず、竹で編んだ蒸篭がほしいなぁ。
うちには金属でできた簡易蒸し器しかないのですよね・・・。まぁ、あれで蒸しても野菜は十分美味しいのだけど。蒸篭だときっともっともっと美味しいのだろうなと思った。
あと、鉄瓶とか土瓶とかね、丸みのあるお湯を沸かせるものも欲しくなる。
明日の食卓は気持ちをもっと豊かに、そう願いたくなる。

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