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2006年11月

2006/11/26

パリ仕込みお料理ノート

「パリ仕込みお料理ノート」
石井 好子
文春文庫
★★★★☆
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1970年に文化出版局から出た『ふたりのこいびと シャンソンと料理』の文庫化。
1952年フランスに渡りシャンソン歌手としてデビューした著者のシャンソンとお料理のエッセイ。
プロフィール詳細は著者サイトに記載↓
http://www.yoshiko-ishii.net/index.html

書かれた時代が時代なので、スペインで日本人が珍しいという記述があったり、アボカドの説明がわざわざあったり、タンシチューやテールスープを新しいものとして紹介していたりなど情報が古いと感じる部分もあるのだけれど、それでもとても興味深く読めるエッセイである。当時のパリやイギリスの様子に加え、時代を経ても変わらない食文化の本質をうまくついている。シャンソン好きには、著者と有名な音楽家たちのエピソードも興味深いであろう。
何より、私のようにパリ好きで食いしん坊の料理好きにはたまらない本。

国ごとのピクルスの違いとともに紹介されるピクルスのレシピ、
サラダ・デ・フリュイというシャンソンと美しいフルーツサラダのエピソード
日本の駅弁とパリの駅弁の違い
ソ連で大好評だったラーメン
フランスのオルドーブル・・・などなど、その国の香りとともに美味しそうな料理たちとそのエピソードが紹介される。
特に好きな料理のレシピも紹介している。
著者が記すレシピはどれも試してみたいと思わせるのだが、その中でもとりわけ興味をひいたのはキャビアを真似てつくるロシア料理「なすのキャビア」である。なすとその他野菜を炒めて味付けをするのだが、本場のキャビアさながらの美味しさらしい。著者が初めて食べた時の感動とともに紹介されているからこそ、より食べたくなる。

食べた事がない料理って、味の正解もわからないからこそ、イマジネーションがかきたてられて、食いしん坊の虫が騒ぎだす。「食べてみたい」という興味が料理をする為の大きな原動力となる。
もちろん、知っている料理も「あの味を自分で再現してみたい」という思いが同じように原動力になる。私はそんな性質であるので、様々な食材が家にあふれ、挙げ句の果てに使い切れず賞味期限がきてしまうということもある。いかんいかん・・・。
今日も韓国料理を食べた後、韓国のお餅「トック」と「トッポギ」や胡麻の葉の醤油漬けを買ったし、韓国料理用のスプーンと箸のセットも買ったし、韓国料理屋で飲んだレモン焼酎が非常に美味しかったので自分で仕込んでみようと思っていたところである。そう、今日は夕飯のせいで韓国気分まっただ中だったのである。
京都に行った時は、やれお麩だ、じゃこ山椒だ、玉露だと色々買い、毎朝おばんざいをつくって食べる気満々で帰宅した。
また、テレビで観た料理なんかにもすぐに影響されるし、フランス系のエッセイを読むとチーズをがっつり買い込んでしまって、お米の方が好きなのに朝食にパンが増えてしまったりする。料理の背景と「食べたい」欲求が手を組んだ場合、ぐぐーんとその世界に連れていかれて虜になってしまって、何が何でも実践せずにはいられないのですよね。
そんな私のように、その世界世界にすぐ影響を受け、すぐそういう料理を食べてしまえ!という方はかなり楽しめる本だと思います。おすすめです(笑  私の場合はこの本でパリに旅行に行った時の思い出もよみがえります。
ああ、ちなみに私はそういう◯◯気分が長続きせずにころころ変わるという飽きっぽさもあります。

レシピ以外にも、「もっと気軽にパーティをしましょう」という話もある。
気張らず、簡単な料理をつくって友人を家に招けば心もあったまるというもの。
アメリカ人やフランス人は極めて当たり前のこととしてパーティを開き、例えばお金がないアメリカ人の若い子なんかは狭い一室にみんなで集って、レコードをかけて、お菓子とビールとコーラでも楽しく盛り上がるのだという。お国柄っていうのもあるけれど、もっともっと気軽にパーティするのって楽しいのかもなと思った。
日本人でも、パーティを開いて、お料理をふるまうのが好きな人っていますね、そういえば。
簡単なおつまみや料理のレシピも載っている。ベルギー人に教えてもらったという「フライドエッグ・オン・トースト」という料理は、うずらの卵10個をフライドエッグにし、トーストにのせて小さく切ってケチャップをのせてかわいらしいカナッペにするというもの。ううーん、ちょっとこれ試してみたい。うずらの卵の目玉焼きって、なんかお人形用の目玉焼きみたいにかわいいものね。普段つくらないけど。
そういえば、昔、母親が何を思ったか10個分のうずらの卵の目玉焼きをお皿にででーんと盛っていたことがあったなぁ・・・。それだとかわいくないのです。面白かったけど。

いつの時代でも国でも、美味しい「食」の話はほんと面白い。

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2006/11/24

でかい月だな

でかい月だな
水森サトリ
第19回小説すばる新人賞受賞作
抄録のため評価なし

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大きな満月が見える夜、山中で友人綾瀬に蹴り落とされて、大怪我をおった中学生の主人公。
怪我のせいで二度と大好きなスポーツを出来なくなった主人公を心配し、綾瀬を罵る周囲。
でも主人公は姿を消した綾瀬を庇う。

「ぼくと綾瀬は友達だったんだ。少なくとも、あのでかい月を二人で見たときまでは。」

このフレーズ、どこかできいたことがあるなぁと思った。
映画「ゆれる」だ。
(※感想はこちら
「あの橋を渡るまでは、兄弟でした。」というキャッチコピーに期待して映画を観たところ、本当にいい映画だった。オダギリジョーかっこいいし。応募の時期とかもあるから、決して真似ではないのだろうけど、どうしても「ゆれる」を思い出させる。

主人公はあまり癖のないキャラなのだけど、その主人公の周囲になかなかいいキャラがいる。
旧理科準備室にこもり、あやしげな実験をしている大人びた中学生中川。
眼帯を決して外さないクラスメートの少女、かごめ。
その二人は周囲の顔色をうかがわず、独自の世界の中で生き、一人であることを嘆いたりはしない。

主人公は繰り返しみるある夢が気になってしかたがない。
何者かが周囲の人の身体をどんどん乗っ取り、仲間にしていってしまう。仲間になると、虚ろな瞳でみな同じようになってしまう。その仲間になってしまうと、仲間同士は争わないので一見平和だ。だが、主人公はその何者かの仲間になることを怯え、逃げ回っているという夢。

ある日、主人公は周囲がみな善人になっていることに気付く。
猫嫌いで野良猫を殺したいと思っていた母親が仔猫の里親探しをし、かごめを避けていた女子がかごめと仲良くしようとし、姉が急にボランティア活動をはじめ・・・。
今までよりも平和になったかに思えた世界、でも主人公はそんな世界に嘘くささを感じて仕方がない。周囲はまるで夢のなかの何者かの仲間になってしまったかのようだ。

嘘くさい平和臭を持たない中川に救いを見ながら、主人公は事故以来実は平和な世界が大嫌いで周囲を全て破壊したいくらいの呪わしい気持ちを持っていて、それをずっとひた隠しにしていた自分自身に気付くといった話。
抄録なので掲載してあるのはそこまでで、後は簡単なあらすじが掲載してあった。
気になる人は単行本を買えということでしょうか(笑

差別とか平和とか、そういった哲学的な大きなテーマに挑んだ作品のように思う。
平和をみな望むけど、その気持ちって本当なのか?
その理想を現実にする為には、平べったくて似たり寄ったりの人たちにしないといけないのではないか?
そういった疑問を投げかけているように思う。

この小説は、前述した二人のキャラによってうまく生かされている気がする。
いい小説の条件は、いいキャラなんだよなぁとつくづく思う。
わざとらしくなくて、何かの真似ではない「いいキャラ」ってなかなかつくるのが難しいでしょうね。
大きなテーマに挑んだことと、いいキャラがいるということが受賞の要因でしょうか。

続きを読んでみたいけど、買ってまで読みたいかといわれると「うーん」ってかんじでもあり・・・。
それは、選考委員のコメントやあらすじを読んで、この小説が言わんとしていることが見えてしまったせいですかね。
全文掲載してくれればいいのになぁ・・・。

amazonでの評価は悪くないようなので、気になる方はこちらから。

小説と全然関係ないのだけど、最近時計のゾロ目をよく見る。
常に時間を意識しているわけではなく、「ふと見るとゾロ目」というのが本当に多い。
そういうのは勘が冴えている時だとか言いますね。
だから何をするってわけでもないのですけどね・・・。

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2006/11/21

いやしい鳥

いやしい鳥
藤野可織
第103回文學界新人賞受賞作

奇数章は平凡な主婦、内田百合の視点で語られる地に足がついた物語(三人称)、偶数章はちょっと癖があって協調性があまりなさそうな非常勤講師高木の独り語り(一人称)によって進む寓話的な物語。

内田百合は、おかしな行動をする隣人の高木が気になって仕方がない。
夫と平凡なやり取りをし、お隣さんちょっと怖いわぁという感じでゆったりとしていて、百合自体はあまり印象に残らない。多分、高木との差別化をはかる為にあえてこういう感じにしているのでしょうね。

一方高木の方は、息もつかせぬといった感じで、ぶわーっと喋り捲る。
高木の家に酔って転がり込んで来た「トリウチ」は、常識外れの憎たらしい奴で、彼は高木の愛鳥を食べてしまう。愛鳥の呪いなのか、次第に鳥に姿を変えていく「トリウチ」と高木は戦うはめになる。
このトリウチが、ほんと鳥になっちゃっても同情できないくらい図々しくて困った奴で、つまりきちんとキャラが出来上がっている。その筆力はすごい。

結末では、高木が誰に向かって語っていたのかわかるのだけど、それに意外性とか全くない。むしろ「あんた誰?」って感じだし・・・。山本文緒さんの「群青の夜の羽毛布」では、冒頭で「先生、こんばんは。・・・」と言う謎の人物の独白があり、誰が誰に語っているのかという結末がわかった時に「おお、なるほど」と思った。読者を驚かせるような要素がないのであれば、語り相手は「読者」であってもよかったのではと思う。

この小説は、プロットをきちんとつくり込んで書いたのだろうなと思われる。
文章力もちゃんとある。
でも、私にはあまり面白くなかった。
好みの問題なのかもしれないけれど、トリウチが鳥を食べちゃって、鳥になっちゃって、高木とトリウチが戦って・・・それで?という感じ。せっかくの濃いキャラトリウチも、鳥になっちゃったらただのお化け鳥だし、何かが物足りない。トリウチが鳥になった後、それに対抗するように高木がもっともっと狂っていっちゃったら面白かったのかも。椎名誠の「真実の焼うどん」の人くらいに。

ストーリーには関係ないのだけど、藤野可織さんって何か本上まなみさんに似ていません?
ああ、そういえば「群青の夜の羽毛布」の主演は本上まなみさんだったなぁ。(もっと関係ない・・・)

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裏庭の穴

「裏庭の穴」
田山朔美
第103回文學界新人賞受賞作

主人公が子供の頃の回想シーンから物語が始まる。
母親が真夜中に、裏庭を懸命に掘っている。
「なにを埋めたの」と主人公がきいても「なにも埋めていないよ」とこたえるだけ。やがて、主人公にはこの思い出が現実なのか夢なのかわからなくなる。
空に丸い月がでる、この真夜中の描写は幻想的で美しい。そして、何かが起こりそうな不穏な空気を残す。

場面は現在の主人公の世界へうつる。
娘がいる専業主婦となった主人公は、娘に頼まれてミニブタを買う。
欲しいと言った当の本人が全く豚に関心を持たないので、主人公は豚の世話を続け、やがて豚に確かな愛情を持っていく。家族の残飯を与え、豚はどんどん大きく育っていく。
その豚に対する愛情とは裏腹に、夫にも、娘にも興味を持てない。
夫の不倫相手、被害妄想を持つ隣人、マルチ商法にはまる娘の同級生の母親・・・それらの濃い人々の干渉も無関心でするりするりと抜けてしまう。
豚への愛情と周囲への冷め切った感情のアンバランスさが面白い小説。主婦の生活の描写や、濃い人々もリアルでいい。何より、新人とは思えないくらい文章がうまいので、とても読みやすい。
絵画的な描写をするわけではないのだけれど、そつなく書いてあるというか。

感情の起伏があまりなくて、どこか浮世離れした主婦の描写は、川上弘美さんっぽいかも。私がそう感じたのと同じように思ったのか、選考委員の松浦氏が「タイトルは豚でいいと思ったが川上弘美に【トカゲ】があるからまずいか」と言っていた。そうだ、「物語が、始まる」に収録されている「トカゲ」に話がちょっと似ている。ちなみに「トカゲ」は、幸運を招くトカゲを育てていく主婦3人を描いた奇妙な話である。動物を扱った寓話という点も同じ。

「裏庭の穴」のほうは、なんかとんとんと進んであっさり終わってしまったのが物足りない。
目眩を起こしそうな生温い空気に包まれて終わる「トカゲ」と比較すると、「オチつけました」っていう感じがしてしまうし。
冒頭の満月のシーンに絡めて、もっとより怖く終われたら私好みでした。

そういえば、選考委員の島田氏が高度情報資本主義の都も動物で溢れていると言ってミッキーマウスだの負け犬だのを例にあげていたのだけれど、「おやつの定番はコアラのマーチ」という発言には「えーそれはこじつけじゃないの?」と突っ込みをいれたくなった。コアラのマーチって今でもそんなに人気ある??昔は人気あった気がするけど。ポッキーとかが定番って言われたらわかるんだけどなぁ・・・。

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2006/11/19

洋食「葡萄屋」(吉祥寺)

先日、吉祥寺にある老舗、炭焼きステーキハウス葡萄屋でランチ。

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満席だったので、「こちらでお待ち下さい」と喫茶室のようなところに通される。
アンティークランプに宝飾品が飾られている(売り物かな)ところで待つ。

アンティーク家具に赤い絨毯。高級感溢れるインテリアでなんだかセレブな気分に浸れる。
エレベーターの天井には、紅葉の写真が飾られていた。
季節ごとに変えるのかしら。
そういう演出って面白い。

ものすごく高そうな雰囲気なのに、ランチは意外にリーズナブル。
葡萄屋特製デミグラスハンバーグランチで1600円。
これなら、普段私が行くようなカジュアルなランチのお店とそう大差ない。

まず前菜にサラダがでてくる。
ドレッシングは和風とブルーチーズの2種から選べるので、私はブルーチーズに。

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ハンバーグはぐつぐつとソースが煮立つ熱々の状態で提供される。
このデミグラスソースが、絶品。2週間ほどかけてつくられるというデミグラスソースのつややかな茶色が奥深さを醸し出している。べたべたした変な甘さがなく、コクと柔らかな苦みを感じる大人なデミグラスソース。
ハンバーグは、黒毛和牛100%だそう。肉に弾力があって美味しい。

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デザートは、数種類から選ぶ事ができる。
私は、ロゼワインゼリーと洋梨のコンポートにした。
さっぱりとしたワインゼリーは肉料理の後に最適。
洋梨も甘すぎず、するするっと食べることができる。

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一階にはアンティークのオルゴールがある。
友達を待つ間、そういえばアンティークのオルゴール好きなんだよなぁとしげしげと見ていたら、お店の人が「かけましょうか?」とオルゴールをかけてくれた。
大きくて優雅な音色。アンティークなのにこんなに澄みきった音色が出せるのはすごいなぁ。
オルゴールは通常でも、頼めばかけてくれるそうなので、葡萄屋に行ったらぜひ聴いて欲しいです。

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炭焼ステーキハウス 葡萄屋
TEL:0422-22-0555
住所:東京都武蔵野市吉祥寺本町2-8-1
HP
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買えない味

買えない味
平松洋子
筑摩書房
★★★★★
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Bunkamura ドゥ マゴ文学賞受賞作。

平松さんのことは、全く存じ上げていなかったのだが、帯に寄せられた山田詠美さんの
-特筆すべきは「色」があるということ。それは、優雅に、しかし、ほとんど野蛮なくらいに唐突に読み手にぶつけられる。-
という言葉にふらふらとひかれ、手に取った。
エイミーの、「言葉の色感」は著作「色彩の息子」でもわかる通り素晴らしい。
そのエイミーが「色がある」と言い切るならば、きっと美しく私が好きなものに違いない、という名の衝動買い。

この本は、その期待以上だった、
ただの「食のエッセイ」とするには勿体ないくらいに素晴らしい文体、その字面は下手な純文学よりもよっぽど芸術である。
そして、彼女のエッセイの根源は「昔ながらの美しい食卓」
箸置き、豆皿、漆、蒸篭、土鍋、晒し、鉄瓶、茶筒、木の弁当箱・・・などなど。
私自身、「昔ながらの日本の美意識」を大切にしたいと思いながらも、現代の便利な生活に流されてしまうことがある。
ペットボトルにはいった情緒もへったくれもない飲み物だとか、プラスチック容器にはいったオリ◯ンのお弁当とか・・・本当はいいと思っていないのに、便利だからとついつい手に取ってしまう。
でも、日々のそんな手抜きをこの本を読む事でがつんと指摘され、ぴしゃりと襟を正す事ができたような、そんな極めて清々しい体験。朝の澄みきった空気を吸った瞬間にも似た、自分が生まれ変われるような本。
器とか食にまつわるきちんとした何かを誂えたくなる。

この本は、各章の始まりが文学的だ。
「扉に閂を落とすように、夏はぱたりと終わる。」
むむむ、・・・痺れるなぁ。
夏の終わりの潔さがこの一行に込められている。
純文学でも、始めの一行でぐっと引き込む人って結構少ないものね。

これは私の持論なのだけど、食べ物は「誰かの為に」つくった瞬間、ものすごく美味しくなる。
それは作り手の気持ちが料理に宿るから。
だから、市販のお弁当とか、シェフが不特定多数の為につくったご飯とかは、素材がよくても味がよくても、「何か」が物足りない。
ほこほこと心の芯まであっためてくれるのは「誰かが誰かの為につくった手料理」である。
この本を読むと、そんな気持ちを再確認できる。

「買えない味」
それは、昔はどこの家庭にもあったもの、最近失われつつあるもの、そんな気がする。

とりあえず、竹で編んだ蒸篭がほしいなぁ。
うちには金属でできた簡易蒸し器しかないのですよね・・・。まぁ、あれで蒸しても野菜は十分美味しいのだけど。蒸篭だときっともっともっと美味しいのだろうなと思った。
あと、鉄瓶とか土瓶とかね、丸みのあるお湯を沸かせるものも欲しくなる。
明日の食卓は気持ちをもっと豊かに、そう願いたくなる。

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2006/11/15

八月の路上に捨てる

八月の路上に捨てる
伊藤たかみ
第百三十五回芥川賞受賞作
★★★☆☆
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ちょっと前に文藝春秋に掲載されていたのを読みました。
伊藤たかみさんは、「無花果カレーライス」を読んでから一寸気になっていた作家。

飲料メーカーで自動販売機への補充の仕事をする主人公と同僚の水城さん。
水城さんに「いつ離婚するの」ときかれた主人公は、離婚に至る事になった経緯を回想するといった話。

主人公と後の奥さん知恵子が知り合った頃から回想は始まる。
二人は学生の頃身の回りのものに順位をつけて遊ぶ。「どうして冬が春より順位が上なのか、雨が晴れより上なのかに理由はなかった。〜〜本人たちにもわからない基準があったのだ。」など、二人だけのエピソードを無理につくろうとして失敗しているかんじがある。お互いが比較している様子を書くならともかく、数行でこれとこれではこれが上でした、理由は本人にもわかりません ではなぁ・・・。
後でこの順位付けの話がまた出てくるのだけど、それも意味を持たない。

主人公は脚本家を目指す為に定職にもつかず、就職した知恵子に生活費を頼ってしまう。
知恵子は「私が稼ぐから夢をおいかけて」というが、主人公はそんな彼女の態度にかちんときて、婚姻届を出す日もどこか不愉快な思いを抱えてしまう。
やがて、知恵子は人間関係のストレスで仕事を辞め、主人公がアルバイトを増やすことになり、二人の立場は逆転してしまう。そして、知恵子は夢を追いかけ始めるが、お金もないのにそんなことを始める知恵子を主人公は罵り、そこから決定的な亀裂がはいってしまう。

こういうエピソードって結構ある気がする。例えば魚喃キリコの「南瓜とマヨネーズ」はミュージシャンを夢見る彼の為にと生活費を稼ぐ主人公の話だし、山本文緒の小説でも身体の弱い彼女に「お前は何もしなくていいから」と言い渡し仕事を頑張る主人公の話があった。前者は、売春も浮気もしてしまう。
それらの話に共通しているのは、主人公が「自分が頑張らなくては」と勝手に気負って、頑張って、ヒステリーを起こすということだったり、主人公が相手の為にと思ってやっていることが、逆に相手を弱者の立場に追い込んでしまう残酷なことだったということだったり。
相手側の立場でいえば、自分の至らなさを責めてしまうのは主人公と一緒にいることが原因だから、いっそこの人のそばを離れてしまおうということになる。

主人公の浮気相手は、口のはしにヘルペスがある。
ラブシーンでこの水疱をつぶして蜜が流れる様子が丁寧にロマンチック風に描写されるのだが、ちょっと気持ちが悪い。私は皮膚が弱いので、手なんかに湿疹がよくできるのだけど、ぶつぶつしたものはどうあがいてもロマンチックにはならないのではないか?と思ってしまう。
主人公と知恵子の順位付けもそうだけど、浮気相手とのシーンも微妙なエピソードが多い。例えば西瓜と天麩羅の食い合わせの話から、スパイスをかけた西瓜の皮の天麩羅は見てくれは悪くても美味しいという話になると、「今ここにいる二人も、考えてみれば食い合わせの悪い二つの食材みたいなものだと、敦は思った。きっと悪くて美味いのだ。ここにはない魅惑の国の味がする。」と書かれている。
・・・さ、さ、寒いよ!!魅惑の国の味って何!?ありがちなかんじの浮気で悪さとかどこにも感じられなかったんですけど!!と、滅茶苦茶突っ込みをいれたくなる。

主人公と知恵子の関係が壊れ、どちらも病んでいくシーンになると、読んでいるのが息苦しくなってくる。
例えば、主人公は鰻を買ってくるのだけれど、知恵子が鰻を好きだからということと、こういうものを買うにはお金がいるんだよというあてつけの両方の意味が込められていたりする。こんなかんじで厚意と憎しみがどろりどろりと混ざり合っている場面がずっと続く。
やがて離婚することが決まると、それからは平穏な日々を過ごすこととなる。
多分、二人をぎゅうぎゅう閉じ込めていた箱の蓋がぱかっとあいたせいなんでしょうね。
二人とも、勝手に箱のサイズや形を決めて、それに無理矢理入りこんで自分たちを苦しめていたというかんじだもの。

わざとらしさと息苦しさを感じる回想シーンとは裏腹に、同僚の水城さんとのやりとりは自然で軽快。
でも、「濃さ」って点では回想シーンに負けてしまっていて何となく勿体ない。
養う側、養われる側の軋轢も、それぞれがきちんと描写されてはいるのだけど、魚喃キリコや山本文緒のように「言いたい事」がストレートに伝わって来ない。

結局この作品を読み終わったあとに感じたのは「小説らしく書いている小説」ということ。
部分部分、いい言い回しもあるし、壊れかけたカップルの憎しみと愛情がぐるぐる混ざり合っている様子を描写するのはうまいのだけど、前述したようなセンスのないエピソードが鼻につくし、色々なエピソードが詰まっているけれど芯になる部分もないし、私はあまり好きではない。
無花果カレーライスのほうが、粗いけれど好きだったなぁ。

選考委員同様、最近、病んだ人の話が多いなぁと感じる。
私はもっと感動できる小説が読みたいな。

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2006/11/12

フレンチ「Bistroナナカマド」(吉祥寺)  

先日、吉祥寺にある「ビストロナナカマド」でランチ。

ビルの7Fにあるこのお店は、井の頭公園を一望できる。

前菜、メイン、デザートがつくコースで1680円。
味もいいし、居心地もいいし、お得です。
ちょっと場所がわかりにくいのですが、無印良品を過ぎて、ラーメン屋のうえです。

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ナナカマド(七竈)はバラ科の木で夏には白い花を咲かせる。
秋にはあざやかに紅葉し、赤い実がなる。実は意外にも食べられない。でも、ナナカマド酒をつくることができる。
北欧などでは魔よけにもなっているらしい。
一説によると、七回かまどの火で焼いても、焼けないくらい燃えにくいというのが名前の由来という話もあるし、他の説もある。
そんなナナカマドに思いをはせながらのお食事もいいのでは。

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Bistroナナカマド
TEL:0422-71-4174
住所:武蔵野市吉祥寺南町1-11-2もみじビル7F
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グルメ・クッキング, グルメ(吉祥寺) | | コメント (0)

2006/11/10

ベゴニア風呂

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植物園で見たベゴニア。
ベゴニアってこんな形だっけ?と思うような、薔薇っぽいゴージャスベゴニアたち。
球根ベゴニアという種類だそう。
よく花壇なんかで見かけるのは、木立ち性ベゴニアといって、小さな花をたくさんつける。

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ちょっぴり嫌なことがあっても、植物の美しさを見ると癒される。
といっても、夜急に思いたって見に行くわけにもいかないので、写真で代用。
たとえ写真でも、写真から何かが出ているかのように澄んだ気持ちになれる。

ストレスな時って、大抵視野が狭くなって窮屈な箱に自分で自分を閉じ込めてしまって「うーん、うーん」と唸っているような状態。
そこで植物の写真とか自然に関わるものに触れると、ふわ〜っと蒸気になって箱から出てこられる気がする。

思考の切り替えって大事ですね。
ああちっぽけだわ。

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2006/11/05

散歩

今日は、温度を感じない気持ちがいい天気だったので、近所をお散歩。
この温度を感じないというのは、温度に煩わされることがないということで、不快指数0ということである。
Tシャツの上に長袖を羽織って、てくてく歩く。

青梅街道にでて、普段行かない左方向へ行くと、サミットのすぐそばに神社が。

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神社の敷地内って、木が生い茂り涼しい。
静かで否応にも癒される。
気持ちがいいなぁと感じながら、境内へ。
5円でお参りをする。

そういえば、神社ってあまり写真を撮ってはいけない場所なんだっけ。(心霊的に)

今日も、夕焼けがいいかんじ。
太陽がとても大きいので、もっと大きく見たくて追いかけたのだけど、ちっとも追いつかない。
写真よりもっと大きく感じたのだけど・・・。
今日のは金柑というより栄養たっぷりの卵の黄身でした。
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さらに歩いて善福寺公園へ。
ベンチに座って池を見ながら読書。
鴨や鯉が元気に泳いでいる。
水場の近くで読書すると、とても気持ちがいい。

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小学生くらいの男の子が、つつっと私のそばにくるので
何だろう?と思ったら恥ずかしそうにこう言う。
「あの、この500円と100円玉5枚を、えーっと換金してもらえませんか?」
・・・換金は違う・・・(笑
ほほえましく思いながら交換してあげると、嬉しそうに立ち去った。

帰り道、まん丸の月がでていた。
ああ、きれいだなと思って歩いていると夫婦で散歩していたおじいちゃんが歌をうたっていた。
なんだっけな、忘れちゃった。月にかかわる歌だったのだけど。
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歳をとっても、ああやって仲良く散歩できるのって素敵。

なんだか自然を肌に感じた一日でした。
見知らぬ道を適当に歩くのってすごく面白い。



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2006/11/04

ひとり日和

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ひとり日和
青山七恵
文藝賞受賞第一作

東京で暮らす為に引っ越してきた主人公知寿と、彼女が住まわせてもらう家の主吟子さん。
吟子さんは親戚でもなんでもなく、母親の知り合いのおばあさん。
若者と年寄りの一年の生活を描いた話。

この主人公は、何かと斜に構えているというか、愛情に飢えている人で、母親をどこか馬鹿にしている。
でも、何故そうなってしまったのかという部分を母親とのやり取りから読み解こうとしても、そういう部分がでてこない。

吟子さんは、鴨居のところに今まで飼っていた猫たちの写真を23枚も並べている。その量の多さと、「名前を覚えられない」という理由で全部チェロキーとよんでいるのだという吟子さんの発言に積み重ねた年月が垣間見える。
忘れない為に飾っているのかと思いきや、「思い出はあそこにはないの」という吟子さん。

主人公は子供の頃から手癖が悪く、身近な人が持っている何かを盗んで集めてしまう。
だが、吟子さんの元を去る時、こっそり盗んだ人形を元通りに戻しに行く。
そして、今まで収集してきた物たちはチェロキーの額縁の裏に1つずつ並べて行く。

この、亡くなった猫の額縁と主人公が収集してきた物との関係、これはなかなか面白いと思う。
物自身がどうというわけではないけれど、所有することに重点をおいてきた主人公と、歴代の猫たちの写真を飾ってはいるけれどそのことには重点をおいていない吟子さん。
主人公はそれまで持っていた心の空白を吟子さんとの生活によって埋められて、ちょっとだけ前に進めたのだなと思う。

でも、このエピソード以外は、なんていうか起伏がなくて退屈な話である。
だいたい、この主人公は中途半端に意地が悪いし、中途半端にやる気がない。
老人を尊敬するのではなく、同じ土俵で比べて羨ましがったりする幼稚さには呆れてしまうし、どこか諦めているせいで恋愛だってうまくいかない。そもそも私は、幼稚な主人公って感情移入ができない。そういうのが許されるのは思春期までじゃないのかなと思うし。ちなみにこの主人公は二十歳だ。

加えて吟子さんは悪い人じゃないのだけど、どこか悟り切っていて淡白過ぎる。
主人公を、ひねくれたやつにしたかったのなら、もっともっとひねくれさせてみて、吟子さんにはそれを癒す溢れんばかりの愛情を持たせてみるとか。
主人公を中途半端で味けのないやつにするなら、吟子さんをどこかぶっ飛んだおばあちゃんにしてみて、それに振り回されるうちに主人公がアクティブになっていくとか。
そういうキャラ付けでもうちょっと魅力的な話になったのではないかなと思う。

先日の綿矢りささんの作品もそうだったけど、乾いた恋愛のエピソードってつまらない。
乾いた=現代的とか若いとか 勘違いしているのだろうか。
恋愛に情熱を注げない主人公とか、悪い意味で幼稚な恋愛しかできない主人公って好きじゃない。

【関連記事】
第136回芥川賞 青山七恵「ひとり日和」受賞(芥川賞受賞に関するコメント)
「ひとり日和」文藝春秋選評について

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映画『パプリカ』私の夢が、犯されている―/夢が犯されていく―

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先日のムンクの件でノルウェー関係のブログを読んでいて、たまたまそこでパプリカのことが紹介されていた。
原作は筒井康隆の同名SF小説。
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精神医学研究所に勤める千葉敦子はノーベル賞級の研究者/サイコセラピスト。だが、彼女にはもうひとつの秘密の顔があった。他人の夢とシンクロして無意識界に侵入する夢探偵パプリカ。人格の破壊も可能なほど強力な最新型精神治療テクノロジー「DCミニ」をめぐる争奪戦が刻一刻とテンションを増し、現実と夢が極限まで交錯したその瞬間、物語世界は驚愕の未体験ゾーンに突入する。
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映画の監督は今敏、原作者の筒井氏が対談で映画化をして欲しいと語ったものが実現したそうな。

公式サイトには仕掛けがしてあって、隠しページに辿り着くとパプリカが夢占いをしてくれる。
この占い自体はまぁごく普通なのですが、仕掛けを見破るのがなかなか楽しい。
そして、再び公式サイトに戻るとさらなる仕掛けが・・・。
その凝り方には感心する。

人形だとか蝶だとか、サイトに登場するモチーフも不安感をあおる音楽もなかなかいいかんじ。
イノセンスに似てない?制作しているのってもしや同じとこ?

今月末公開なので、観に行ってみようかな。
後日観て書いた感想はこちら

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2006/11/02

夕日

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神代植物公園で見た夕日。

写真は実物ほどはっきり撮れなかったのだけれど、
金柑の蜜煮のような、透き通った橙色の太陽は目に痛いくらい輝いていた。

夕日って静かで寂しくて、でも月のように孤独な冷たさではなくて、それは夕日が刻々と姿を変えていくものだからかもしれない。

以前、夕日の中知らない街を彷徨う夢をみた。
街の人々は夕餉に間に合うようにと、みな家々に向かっている。
学校帰りの自転車に乗った学生、遊び終わった子供、会社帰りのお父さん。
そんな中、私だけはどこに帰ったらいいのかわからず、見知らぬ街をただうろうろとしている。
私は橙色の空気に染まりながら、自分には帰る場所がないことを知っているのに、歩みを止められないでいる。
子供の頃、遊び疲れて帰ると母親がこしらえた温かいお夕飯が待っていたことを思い出しながら、あの家はどこに行ってしまったんだっけと考えている。
そんな夢だった。
起きた後、酷く寂しくて、帰る場所もなくて待っている人もどこにもいない世界って時が止まったように空気が重たくて、世界自体が丸ごと他人事のように感じるのだなと思った。

夕日には懐かしさだとか、終焉だとか色々なイメージがあるけれども、ほんのちょっぴり「狂気」もある気がして、それはムンクの叫びの空の色に喚起されているのかもしれない。

「夕暮れ時、私は二人の友人と共に歩いていた。
すると、突然空が血のような赤に染まり、私は立ちすくみ、疲れ果ててフェンスに寄りかかった。
それは血と炎の舌が青黒いフィヨルドと街に覆い被さるようだった。
そして、自然を貫く果てしない叫びを感じた。 (エドヴァルド・ムンク)」

ムンクといえば、「叫び」だけでなく「マドンナ」も好き。
別名「受胎」とも呼ばれる作品で、美しい女性にべったりと張り付く死のイメージがなんともいえない作品。
遠目に見ると、女性の顔が髑髏に見える。

マドンナの参考画像はこちら

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2006/11/01

公園

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荻世いをら
文藝新人賞
★★☆☆☆
あらすじを説明しようとしても難しい。ストーリらしいストーリーのない小説。

冒頭でいきなりリンチシーン、選考委員の保坂氏も言っていたけれどここは不要と感じる。なぜなら、主人公を象徴するようなエピソードでもなく、後のストーリーの伏線でもなく、長々とただ描写されているだけだからだ。

そこを過ぎると、だんだん軽快で読みやすくなってくる。
南極帰りのタクシーのおじさん、オノサという危なっかしい友人、韓国人の友人、成金風のおじさんとキャバ嬢のカップル、嘘つきのタクシーのおばちゃん、知り合いと勘違いして近寄ってくる明らかにカタギではないおじさんとその連れなど 個性的な人物たちと交わりながらポンポン話が進んでいく。出会う人たちがみんないきたキャラクターというかんじでぐっと引き込まれる。

そして主人公はオノサと突然ニューヨークへ行く。
ニューヨークで出会ったのはこれといった特徴のないイギリス人の男性に宿の人の荷物を盗むインド人、地下鉄で騒ぐ人、人種差別問題に感心の高いアメリカ人女性といったかんじなのだが、どのキャラクターも魅力に乏しい。 大学生の旅行記レベル。アメリカに行かせないほうがよかったのでは?と思ってしまう。

そして最後に帰国するのだけれど、本当にただ帰国しただけで終わってしまう。
ある若者のある時期の日常をちょっとのぞきましたというかんじで、私には何も伝わってこなかった。

ただ、途中途中結構会話が面白かったりするので、この人が書くもっとよりエンターテイメントな小説を読んでみたい。

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ヘンリエッタ

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中山咲
文藝新人賞
★★★☆☆
主人公と、女性ふたりが暮らす「ヘンリエッタ」と名付けられた家を舞台にした話。

ヘンリエッタってなんだか語呂が非常にかわいいなと思ったのだけど↓
参考:Google検索結果
アニメの主人公がばんばん登場(汗 イメージと違う・・・。
相田裕「GUNSLINGER GIRL」のメインヒロインだそうです↓
参考:はてな

人の名前なので、そこからとったわけではないのかもしれないけれど、アニメの主人公と同じってちょっと小説の世界観を左右してしまう。

小説自体は、非常に読みやすくあたたかいお話。
嫌な人は一人もでてこなくて、主人公の視点で淡々と毎日が語られていく。
ふわふわとあたたかい空気感を最初から最後まで持続できる筆力は素晴らしくて、中心にでんと構えるヘンリエッタの存在感もいい。

早朝の空気感だとかを描くのはうまいのだけれど、物の描写がちょっと物足りない。
おそらく、ふわふわとした全体像を描くのは得意だけれど輪郭を伴うものを描くのがまだ苦手なのでしょう。
ふわふわと輪郭を混ぜて書くとより深みのある話になる気がする。
といっても、受賞時17歳。これからが楽しみな作家さん。

最近は10代で受賞なんて珍しくない。
人の文章能力は小学生の頃に大方決まるという話もきいたことがあるので、10代でまとまった文章が書けることはさして驚くようなことでもないのかもしれない。
ただし、若くしてデビューしてしまった作家は「若いのにすごい」という評価が、若くなくなってしまった時にどうなるのかといったことにも対峙せねばならないし、就職せずに作家活動に絞ってしまう人は作品のネタのもとともいえる「人生経験」の幅が足りず苦しい思いをすることもあるのかもしれない。たしか山本文緒さんが言っていたのだけれど、小説を作る為に必要な米櫃への貯蓄ってデビュー後に自分で増やしていかないと減るいっぽうらしい。
作家の誰だかが「作家なんて歳をとってからもできるのだからもっと先の為にとっておけばいい」「若くしてやるべきことをやりつくしてからなればいい」というようなことを言っていたような。これって決して若い事への嫉妬ではなく、「人生経験」を積んでこそ深い作品が書ける作家になれるから早いうちに可能性を狭めるなよということなのでしょう。

彼女には純文学よりもぜひ児童文学を書いて欲しいなと思う。
子供や若い子に読ませたいなと思える作品を書くことが向いていそう。

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