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2005/02/15

イノセンス

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イノセンス
★★★★☆
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1995年に公開された『GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊』の直接的な続編であるということなど全く知らずに借りてきました。
・・・だってタイトルに書いていないし。

後で、「ろくにヒットしなかった前作の続編として宣伝しても仕方がない。恋愛をテーマとした映画として売り出そう」と、プロデューサーが判断して広告・宣伝したらしいときいた。続編であることを隠すのはありなのか?
DVDには、前作を観ていない人でもわかるように、前作までの簡単な説明がはいっている。でも、連続ドラマの視聴率稼ぎの為に日曜日の午後とかにやる「いままでのあらすじ。続きは来週からの本編を観てね」を観たような消化しきれない違和感も残る。
続編だって知ってたら前作も借りて観たのになぁ・・・。

球体関節人形のかたちをした愛玩用アンドロイドが殺人事件を起こしたことをきっかけに、物語は動き出す。

球体関節人形が動くことに違和感をおぼえるのは私だけなのだろうか。
動く球体関節人形をモチーフとして使用してしまったがために、この映画で押井守がいいたいことを表現するのにずれが生じているとしか思えなかった。ここでモチーフとして使うものは、「動かない球体関節人形(本来の人形)」か「人間を完全に模したアンドロイド」であるべきでしょう。
それなのに、どうしてアンドロイドを球体関節人形のかたちにしているのだろうと疑問だったのだが、公式サイトを観て納得した。監督自信が、ハンス・ベルメ−ルに相当ほれんこんでいるのだ。ベルメールの人形は、その独特の美しさ、存在感で強烈な個性を放つ。ベルメールの人形によって、ひとつのアートのジャンルとして「球体関節人形」が確立されたといっても過言ではない。
ただし、球体関節人形というのは結構反則技ともいえるモチーフだと思う。その独特な形状が、そのままアートとして存在できる強さを持っている。小説でいえば、「不治の病」「死」のようなもの。
作品中にでてくる人形たちは、天野可淡や、吉田良の人形を真似たようにしか見えない。冒頭のシーンで人形の下半身が繋がっている様子はベルメールとしか思えない。作品中にはベルメールの写真集がでてくる。私も所持しているのだが、普通に入手できるタイプのものである。(少し前までは入手困難だったが最近復刊されたもの)

球体関節人形は「静止」しているからこそ、人形写真集は人形の瞳になにかがうつったかのような一瞬を切り取っているからこそ美しいのであって、結局のところアニメーションに持ち込むには無理があるモチーフなのだなと感じた。映画の中で観た人形は美しくなかった。
ボールジョイント部を無視した動きをさせるのも。
ベルメールの人形写真集が美しいのは、ベルメールの世界観を表現できるようなアングルで、光のあてかたで、その一瞬を切り取っているからであって。その形状であればどんな場所でどんなアングルで観ても美しいわけではない。

あと、一般受けするものでもない球体関節人形のかたちをしたアンドロイドが大量生産されている様がそもそも違和感なのだろうか。

映画自体は、絵が細かく、CGには圧倒される。なんでここで?という場面でリアルなCGが使われていたりするのだけれど、あれにも実は意味があるのかな・・・。
ファンサイトを観てみたところ、様々なところに仕掛けともいえるモチーフがちりばめられているらしい。
キムの館で仮想と現実の区別がつかなくなり、ぐるぐると同じことを繰り返すエピソードはバックミュージックのオルゴールが織り成す不協和音と相俟って不安と心地よさの間のようななんともいえない世界を描いていて、個人的に好き。

「人はなぜ似姿をつくるのか」も大きなテーマになっていた。
「人間は、自分を裏切らず、自分の存在意義を確固たるものにする何かを欲しているから」ではないかな、と思った。
「似姿」は、時には「子供」であり「ペット」であり「パートナー」である。最近であれば、ネット上でしか存在しないバーチャルな人付き合いもあてはまる。人って、結局相対的にしか「認識」をできないしね。自分の中にある価値観も、それまで拾得した知識の積み重ねというデータベースによって形成されたものでしかなくて絶対的なものではない。それによって下される判断基準は結局「相対」である。
「相対」の一歩目は「自分」と「他者」との認識にはじまり、その状態を安易につくりだせるのが「似姿」をつくり自分のそばにおくこと。だからつくりたがる。
人のつくりだした膨大な量の「相対」的な情報が転がっているネットの世界に素子が身を投じたことも結局そこに繋がるような気がする。(前作観てないから多分だけど)

こういうテーマって、わりと昔からあるものであるから「こんなことを投げかけて、イノセンスすごい」とは思わないけれど、そういうことを再考する機会をもらったという意味では「いい映画だった」といえる。
天野可淡によると「人形は夢を裏切らないという代償に、死を神に捧げた」ものであるという。
だから人形にとっては、「死」が恐怖なのではなく、人間に「飽きられ」「忘れられる」ことが恐怖である。その側面をもっと深く描けていたら、よりよかったかなと思う。

球体間接人形ってあれだよねという方はクリックお願いします

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