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2004/08/29

映画「真昼の暗黒」

真昼の暗黒

真昼の暗黒
監督:今井正
出演:草薙幸二郎、松山照夫

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ラピュタ阿佐ヶ谷で「真昼の暗黒」を観た。

今井正が監督の、1956年の映画。私が生まれるずっと前だ。勿論白黒。所々にはいるノイズやフィルムの傷みが、かえっていい味になってい る。

画面に広がるのは昭和レトロな街並み。車も、服装もクラシックで、いまあったらかえってお洒落なものばかり。それだけでも観る価値がある気がす る。あんな車に乗りたい…。

これは、戦後まもなく山口県で老夫婦が殺された「八海事件」の弁護を担当した弁護士正木ひろしの著書「裁判官」を映画化したもの。係争中の裁判を 正面から批判したものとして、当時大きな反響を呼んだらしい。

映画では、刑事たちの推測違いによって取調べを受けることになった4人が、無理やり犯人にさせられてしまう。その取調べの様子が、あまりにも酷い。拷問をうけさせ、眠らせず、自供するまで解放しないという有様。意識が朦朧としたところで、強引に書類に拇印を押させる。
戦後間もない頃、官憲が横暴で尊大な態度をとること、取調室で拷問をすることは日常茶飯事であったらしい。それにより、冤罪となったケースがいく つもあるときいたことがある。
人が人を裁くことの危うさと、冤罪の恐ろしさをこの映画は強く訴える。

してもいないことを「やっただろう」と言われ、やっていないといえば「嘘をつくんじゃない」と殴られ、それでも否定し続ければさらに暴行を加えら れ、認めるまでは終わらないと言われる。こんな状態で、無実を証明できる人がいるのだろうか。
裁判で弁護士が、彼らが殺人を犯すことが物理的に無理であることを証明しても、有罪判決が下ってしまう。こんな馬鹿げた話があるものか。薄汚い権力、腐敗した官憲を目のあたりにした思いだ。

係争中の裁判をテーマにした映画だった為、ハッピーエンドでは終わらない。ドラマであれば、「さぁ、ここから二人がやっと結ばれるよ」というところで、時代劇であれば、「悪行を尽くした代官にそろそろ水戸黄門の印籠が出るよ!」っていうところで、「終」の文字がドーンと出る。あああ…そんな殺生な…。思わず呟きそうになる。
それにしても、こうやって「終」の文字が画面いっぱいに出て終わるのって、ものすごぅくレトロでいい。

実際の裁判はどうだったかというと、弁護士の彼が著書を出版し、そして映画化された甲斐があり、彼らはやがて無罪となった。だが、最終的に最高裁で全員に無罪判決が出たのは、逮捕からなんと17年以上の歳月が経た日のこと。映画で暴かれていたにも関わらず、何故こんなに時間がかからなかればならな かったか。現在の、政治家の汚職とか、警察官の不祥事とか…そういった類のものに対する憤りと同じものを感じる。そこに共通するものは、いわゆる「権 力」。
誤った方向に権力を振りかざすことでさえ腹立たしいのに、ましてや人命が関わることである。言語道断。警察のメンツが命より重いのか。そんな馬鹿 な。

余談だが、この映画にでてくる刑事たちは、パリッとしたコートを着て、上品な帽子をかぶっている。一般人に比べてとてもハイカラなのだが、当時の刑事ってみんなこうだったのだろうか?
刑事のご飯がみんなカツ丼(多分。白黒だからわからないけれど)っていうところも気になった。取調べされる人は「飲まず食わず」だったので、「おい、カツ丼食べるか?」というシーンはなかったけれど。

そして出てくる女優が美しい。現代でも通用する美しさだ。
そんな楽しみ方もあり。

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