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2004年8月

2004/08/31

ユーリー・ノルシュテイン作品(ラピュタ阿佐ヶ谷)

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ラピュタ阿佐ヶ谷で、観たかった、ノルシュテイン作品(映画)を観ることができた。
上映作品は以下の4つ。(各説明文は映画館のサイトより)

『25日・最初の日』
1968年/12分/カラー

1917年10月のロシア革命最初の日。モノクロの静かな広場に民衆の怒りが赤い怒涛となって疾走する。A・トーリンと共同で演出したノルシュ ティン27歳の初監督作品。

『ケルジェネツの戦い』
1968年/12分/カラー

西暦988年キエフ公国軍による国家統一。勝利の裏にある悲惨、悲しみを描く。旧ソビエトのアニメの創始者イワン・イワノフ=ワノーとの共同監督 作品。

『アオサギとツル』
1974年/10分/カラー

忘れられた野原の古い館の廃虚に鷺と鶴がいる。お互いが好きだが、命がけの想いというほどではない。やさしくしては失望し、すげなくしては後悔 し……お互いの心の波長とタイミングがいつもちょっぴりズレるのだ。終わらぬ恋のゲームは不完全燃焼のまま、秋風が吹き、雨が来る。

『話の話』
1979年/29分/カラー

つぶやくような子守唄。それに呼び出された狼の子。狼の子はおぼえている。廃屋に大勢の人が平和に住んでいた時代、街灯の下で男女がタンゴを踊っ た時代、男たちが戦場に奪い去られた時代…。忘れ去られた時をこのアニメは詩としてうたう。幻想的であり強烈なリアリティ。

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ノルシュテインの作品は、切り紙を使った独特の手法がとられている。だから、平面なのに立体的という、不思議な味がある。

4作品観たが、中でもとりわけ好きだったのが「話の話」。
ストーリーらしいストーリーはなく、詩や夢の世界を途方も無く彷徨っている感覚におそわれる。

母親のおっぱいを飲む赤子を、つぶらな瞳で見つめる、灰色狼の子。
縄跳びを回し続ける大きな牡牛。
タンゴを踊る男女。
空を舞う戦死通告。
青林檎を食べる子供とアルコールを飲み続ける父親。
狼の子を不敵な笑みで見つめる詩人。
泣き止まない赤子。

灰色狼の子供がひどく愛らしい。
ちなみに、狼の子の瞳は、溺れたところを救出された猫の瞳を参考につくられたらしい。

幻想的なだけではなく、狼の子が燃やす焚き火の炎や、焼きたての芋の様子、流れ落ちる雫など、ひどくリアルなところもある。

ノルシュテインがつくるアニメは、一場面一場面を切り取れば立派なアートになっている。
アートが動く。
目まぐるしく、心を打つ情景が流れていく。
初めて見る場面なのに、涙が滲むくらい懐かしい。

この作品は1度観たくらいでは理解することが難しい。
咀嚼し、反芻してもわからないかもしれない。
わかることではなく、味わうことが大事な作品のような気もする。
それだけ深く広がる世界観を持っている。

もっと知りたい、もっと味わいたいと思う作品。

ユーリー・ノルシュテイン作品集詳細はこちら

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2004/08/29

映画「真昼の暗黒」

真昼の暗黒

真昼の暗黒
監督:今井正
出演:草薙幸二郎、松山照夫

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ラピュタ阿佐ヶ谷で「真昼の暗黒」を観た。

今井正が監督の、1956年の映画。私が生まれるずっと前だ。勿論白黒。所々にはいるノイズやフィルムの傷みが、かえっていい味になってい る。

画面に広がるのは昭和レトロな街並み。車も、服装もクラシックで、いまあったらかえってお洒落なものばかり。それだけでも観る価値がある気がす る。あんな車に乗りたい…。

これは、戦後まもなく山口県で老夫婦が殺された「八海事件」の弁護を担当した弁護士正木ひろしの著書「裁判官」を映画化したもの。係争中の裁判を 正面から批判したものとして、当時大きな反響を呼んだらしい。

映画では、刑事たちの推測違いによって取調べを受けることになった4人が、無理やり犯人にさせられてしまう。その取調べの様子が、あまりにも酷い。拷問をうけさせ、眠らせず、自供するまで解放しないという有様。意識が朦朧としたところで、強引に書類に拇印を押させる。
戦後間もない頃、官憲が横暴で尊大な態度をとること、取調室で拷問をすることは日常茶飯事であったらしい。それにより、冤罪となったケースがいく つもあるときいたことがある。
人が人を裁くことの危うさと、冤罪の恐ろしさをこの映画は強く訴える。

してもいないことを「やっただろう」と言われ、やっていないといえば「嘘をつくんじゃない」と殴られ、それでも否定し続ければさらに暴行を加えら れ、認めるまでは終わらないと言われる。こんな状態で、無実を証明できる人がいるのだろうか。
裁判で弁護士が、彼らが殺人を犯すことが物理的に無理であることを証明しても、有罪判決が下ってしまう。こんな馬鹿げた話があるものか。薄汚い権力、腐敗した官憲を目のあたりにした思いだ。

係争中の裁判をテーマにした映画だった為、ハッピーエンドでは終わらない。ドラマであれば、「さぁ、ここから二人がやっと結ばれるよ」というところで、時代劇であれば、「悪行を尽くした代官にそろそろ水戸黄門の印籠が出るよ!」っていうところで、「終」の文字がドーンと出る。あああ…そんな殺生な…。思わず呟きそうになる。
それにしても、こうやって「終」の文字が画面いっぱいに出て終わるのって、ものすごぅくレトロでいい。

実際の裁判はどうだったかというと、弁護士の彼が著書を出版し、そして映画化された甲斐があり、彼らはやがて無罪となった。だが、最終的に最高裁で全員に無罪判決が出たのは、逮捕からなんと17年以上の歳月が経た日のこと。映画で暴かれていたにも関わらず、何故こんなに時間がかからなかればならな かったか。現在の、政治家の汚職とか、警察官の不祥事とか…そういった類のものに対する憤りと同じものを感じる。そこに共通するものは、いわゆる「権 力」。
誤った方向に権力を振りかざすことでさえ腹立たしいのに、ましてや人命が関わることである。言語道断。警察のメンツが命より重いのか。そんな馬鹿 な。

余談だが、この映画にでてくる刑事たちは、パリッとしたコートを着て、上品な帽子をかぶっている。一般人に比べてとてもハイカラなのだが、当時の刑事ってみんなこうだったのだろうか?
刑事のご飯がみんなカツ丼(多分。白黒だからわからないけれど)っていうところも気になった。取調べされる人は「飲まず食わず」だったので、「おい、カツ丼食べるか?」というシーンはなかったけれど。

そして出てくる女優が美しい。現代でも通用する美しさだ。
そんな楽しみ方もあり。

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2004/08/25

華氏911

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華氏911
★★★★★
年度: 2004
国: 米
公開日: 2004/8/14
世界中で政治論争にまで発展している超話題作。主役はジョージ・W・ブッシュアメリカ大統領。
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観たいなーとは思っていたのだけれど、それは「興味がある」程度のものであって、あまり大きなものは予想していなかった。私はそもそも、前作の「ボウリング・フォー・コロンバイン」を結局観そびれていたし・・・。

そんな私に、友人が「華氏911を観にいこう!」と言うので、じゃぁ行くかーということで、吉祥寺のサンロード内の映画館へ行った。

映画が始まってみると、ものすごい引力で映画の世界に引き込まれた。

私達が何かを「知る」時というのは、かならず何らかの情報に基づく。
自分の身近で起きたこと以外は、伝聞というかたちをとる。世の中の出来事全てを自ら体験することなど不可能なので、自分の中にある「知識」というのは、この伝聞に拠るものばかりだ。
だが、この時に、情報を意図的に操作されたり、隠されたりしていたら、誤った情報を「事実」として認識してしまう。
「事実」が誰にも知らされなければ、嘘が事実を侵食していき、捻じ曲がった歴史が出来上がる。歴史は記録ではない。誰かの意図で変えることだって、あったことをなかったかのようにすることだって可能なのだ。当たり前のことだけれど、日常生活では意外に忘れている感覚で、はっと気が付くと、怖い。
この映画を通して、その「恐怖」を感じた。

この映画は、歴史の隠された部分を暴く。
ブッシュ一族とオサマ・ビン・ラディンの一族との繋がり、選挙時の不正行為、9.11テロが起きた時の情けない様子(彼は小学校見学の最中で、報告を聞いた後、誰からも助言を得られず、数分間呆けていたのだ)など、例をあげたらきりがないほどの多くのことを、独特のユーモアも交えつつ、ムーアが検証していく。
ムーアが暴いたことは、「知る人ぞ知る」ことであって、ムーアだけが知っていたことではないらしいが、それを観たものが納得できるかたちにできるところが素晴らしい。しかも、ユーモアセンスもいいので、ぐいぐい引き込まれる。
私は政治的知識に乏しいので、本当に興味深かった。そして自分の無知さ加減が恥ずかしくもあった。
まぁ、ムーアの視点で伝えているという、これも一種の「伝聞」ですから、鵜呑みはよくないのだろうけれど。

でも、そうした「政治的部分の真実」より、何より私が衝撃を受けたのは「戦争の真実」だった。
イラクの本当の姿があった。
兵力を持たない日本で、戦争を知らないまま大きくなった私は、戦場の凄惨さを肌で感じたことなどなかった。
映画の中には、日本のマスコミでは規制されて報道されなかった映像もあった。
残忍な映像は「教育によくない」とか「人道的にどうたら」とかで、規制されてしまうのだろうけれど、本当の姿を見ないで「戦争反対」とか「自衛隊派遣賛成」とか言えるのはなんだかおかしい。たとえ見ている瞬間は辛くとも、「知るべき」ことはある。これは「知るべき」ことだ。
空爆でズタボロになった身体を乱暴に縫い合わせた人、真っ黒になって亡くなってしまった人・・・きりがない。みんな一般人だ。
「イラクで亡くなった一般人がいる」
言葉で聞くのと、映像で観るのと、どちらのほうが真実がより伝わるか・・・そんなことは火を見るより明らかだ。

イラクだけではない。
米兵だってそうだ。
貧しくて、学費を払うことができず、仕方がなく軍にはいっていく若者達。米兵の大多数をそういった貧困層の人たちが占める。
どうして、富める人たちの利己心の為に、貧しい人たちが命を投げ出さないといけないのだろう。
議員の子供で、イラクに行ったのはたったの1人だったという。「国の為に軍に入り、イラクに行くのは素晴らしい」「愛国心」「開放の為の正しい戦争」そういった御託を言い、戦争を支持することができるのは、自分は安全なところでぬくぬくとしていられるからだ。誰だって自分の子供を、死の危険がある場所へなんてやりたくない。

誰だって死にたくないに決まっているのに、仕方がなく戦地に赴いている。
それなのに、信じることができる戦争の理由がなかったら・・・ましてや欺かれていたら・・・そんな悲しいことがあるだろうか。

自分の息子がイラクで亡くなってしまった人の嘆きを、米兵の膨大な数の棺を、亡くなった人たち1人1人のエピソードを、どうして今まで報道しなかったのだろう。

涙なくしては観れない。
でも、絶対に観るべきだと思う。
戦争を肌で感じたことがない人は、絶対に。

戦争賛成とか
反対とか
イラク攻撃は正解とか
間違っているとか
そんなことは抜きで
とにかく
「知る」
必要がある。

観終わった後、あまり言葉がでてこなかった。

衝撃受けすぎ?
でも、本当に、本当に、痛かった。

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